デフレ期待回避のためのインフレ目標の考慮(米国FRB)

 ロイターの記事から
 http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-35734020090106

  議事録では、政策金利がゼロに近い水準になるなか、経済を活性化しデフレの長期化を回避するために他に取り得る手段が検討されたことが明らかになった。

 さらに、より明確なインフレ目標設定の検討を再開。一部メンバーは、インフレ目標設定がデフレ回避策として有益と考えている。

 FRB当局者はまた、利下げという手段を使い果たした後にFRBのバランスシートをいかに有効に活用するかを議論。準備預金やマネーサプライの量的目標設定も検討したことが明らかになった。

 日本のネット界隈だけでの現象だが(リアルな論壇はそういうバカげたことにはなっていない)、しばしばバーナンキらのFRBインフレ目標には言及していないという記述をいたるところでみかける。それが間違いであることは下のFRBの議事要旨からも明白である。このときのインフレ目標への考慮は、日本でもしばしば現実に採用されることはないと否定されているデフレ(期待)脱却へのインフレ目標そのものである。どの程度の議論が行われたか、あるいはどの程度実現へのステップにあるかは不明だが、バーナンキはじめ多くの構成メンバーの意見を代表していることは間違いない。

http://www.federalreserve.gov/monetarypolicy/fomcminutes20081216.htm

Another possible form of communication that participants discussed was a more explicit indication of their views on what longer-run rate of inflation would best promote their goals of maximum employment and price stability. The added clarity in that regard might help forestall the development of expectations that inflation would decline below desired levels, and hence keep real interest rates low and support aggregate demand.

雇用流動化論というまやかし

 構造改革論やいまだに根強い不況下でのサプライサイド改革の核心部分が、この「雇用の流動化論」。今日の非正規労働者が膨大に生まれたのもこの不況下での雇用流動化論という悪しきイデオロギーが加担しているためである。

 最近でも、この不況下でこそ、雇用の流動化を促すことを主張をする人たちがいる。例えば正規と非正規との壁をなくせ(=解雇法制を緩和しろ、あるいは正規と非正規両方から解雇者を選出せよなど)というのも結局はこの雇用の流動化が、日本の不況対策として有効である、ということなのだろう。しかしこれこそ倒錯した経済思想そのものであり、今回のような不況の下では単に人々の生活が軒並み不安定になるだけである。

 またこのような不況対策としての雇用の流動化論は、今日の非正規労働者の膨大な増加にも現れているが、単に経済・社会的な交渉力に劣るアウトサイダーたちの立場を真っ先に悪化させるだけである(短期雇用の促進)。解雇法制の緩和でさえもまっさきにインサイダーたちの弱者を苦境に陥らせるだけであり、それは簡単にいえば不況の下でリストラをしやすくするだけでしかない。そのときアウトサイダーの層からの新規採用があるのかといえば、それはない。そんなことはここ十数年の日本の長期停滞を素朴に観察すれば自明である。そもそも雇用の流動化をすすめる政策が、総需要不足である日本経済への正しい処方箋であった理論的可能性はないといっていい(『構造改革論の誤解』参照)。

 さて、赤間さんのブログは一貫して大学問題を扱っていてるが、今日のエントリーはそのような今日の日本の最大の悪といえる雇用流動化論が、大学に極端に用いられたらどうなるか? を示す素材を提供している。マスコミはこの件についてもっと注目すべきではないだろうか。簡単にいえば任期一年でまともな教育も研究もおちおちできない、というのは常識でしかないように僕は思えるのだが。

 http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090106/1231249294

(補遺)
あら? へんなことをいつも書いているアルファブロガーのブログ(事実を曲解、経済学の基礎知識不足)からいらっしゃった方々が少しいるようなので、ああいうブログに書いてある間違いを信じないように、というのがせいぜいですが 笑。

 簡単にいうとリフレ派は総需要不足の不況が日本で起こっていると考えてます。その対策には強力な総需要喚起政策が必要。ところが雇用流動化論は総需要を喚起しません。総供給側の効率化をすすめるだけです。そのため総需要喚起政策を伴わない総供給の効率化=雇用流動化は、自体を悪化させるだけです。つまり失業者増やすだけ。その頭の調子に疑問があるブログ(笑)では、リフレ派は失業者のことを考えてないというトンデモな意見がありますが、その反対にすでに失業している人も失業はさらに長期化し、新に解雇法制の緩和によって既存雇用者もリストラされやすくなり、ダブルで失業が悪化していくというわけです。また不十分な総需要喚起政策しか伴わない場合もかなり自体を悪化させる可能性が強いです。

 以上の話が「同情論」としてしか解釈できないようでは、まあ、その人物の論理能力に同情を禁じえません。ハイ。どこかのへんなことばかり書くブログでままみられるように、ゾンビ企業を淘汰して効率化をめざし、リフレ政策のような強力なものを主張しないのは、まあ、リフレ派だという以前に、単なる経済学の基礎知識を知らないものなんでしょうね。

 そういうのみてばかりいると何が本当で何が嘘だかわからなくなると思いますのでご注意を。

(補遺その2)
あらら、毎回毎回、なんでこの人は確信犯的な間違いを繰返すのかなあ? よくわからんけれども。しかし多くの読者を毎回、誤解と混乱にリードしてて恥ずかしくないのかな? あと議論する気持ちないよ、だって経済学の基礎知識ない人と論争しても相手のアフェ稼ぎに貢献するだけだし 笑。

 例えばそのへんなブログ(読者の皆さんはもう読まないことをおススメします。だってただ彼は真理よりもただの人気商売でやってるみたいだし、もっとまともな経済ブログは日本でもいくつもあります。ここにあげたのはすべて推奨。僕とは違う見解や僕への批判もありますが、みなさんちゃんとしている)では、雇用の流動化が労働需要側の改革だとか書いていますね。これ本当にどうしようもない誤り。雇用の流動化には需要サイドと供給サイドそれぞれの改革がある。それと解雇規制問題も需要側と供給側をみなくちゃいけない。

 例えば、解雇規制は、解雇コスト(雇用コストと表記しても同じ→解雇者への解雇手当となる)をあげている。ところが重要なのは、解雇規制を緩和したときに重要なのは、社会全体のコストがどうなっているかなんですよね。だから解雇規制を緩和して解雇コストが低下するから労働需要が増加して終り、なんて部分しかみない(しかも部分すらも満足にみてない)シナリオではまったくダメ。

 それと、そもそも解雇規制があるということは(賃金は硬直性を有しているので)、それは解雇規制がないときよりも雇用増を生み出していることにも注意が必要、また解雇規制があるので解雇手当が生じているのでその分も解雇者の負担するコストは小さい。他方で企業の側は規制があると解雇コスト増、そして(賃金が硬直性を有しているので)割高な賃金支払いをしている。

 問題はこの解雇された人と企業の側のふたつ合わさったコストが、規制があるときとないときでどう違うかの比較が重要。だからその変なブログの見方はただの基礎的な理解に欠けてるだけ。

 ところでこのふたつ合わさったコストをどうみるかで実際には見解がわかれている。僕は上にも書いたように、解雇規制を緩めても、(1)企業の解雇コストなどが減る以上に、(2)雇用の減少(繰返すけど規制がないと労働需要価格サイドからみると労働需要量=実際の雇用量は減るんだけど? なんでその変なブログは増加すると考えるのか意味が不明)や解雇手当が減ることの社会的損失が大きいと判断しているわけ。それは不況が強まれば強まるほど解雇規制を緩めると(1)よりも(2)の方がはるかに上回ると判断しているから。その証拠? それは雇用の流動化が曲がりなりにも90年代から00年代にかけて進展したけれども、それ以上に90年代から00年代当初において失業率が増加したことでもわかるんでないの? ましてや今回のハードアタックの衝撃を、ささやかな解雇コストの低下で吸収できると思うのはちょっと現実的じゃないでしょう。

「首相が方針転換」……どんだけ重要なの、それが?

 本日の朝刊を見ると、一面に「麻生首相方針転換」とある。ついに定額給付金を大幅増額で20兆円か、あるいは日本銀行と協調しての大規模マネタリゼーションか? と不況が「100年に一度」規模の国では、ふつうそのような記事が紙面に踊るかもかもしれないが、わが国では、議員や閣僚が定額給付金使うべきだ、自主決定だ、とかいう類の「お話」。しかも昨日書いたが、これらの新聞・テレビなどの論調は、「世論」に調和的な意見を採用しているようで、定額給付金を使うこと自体が「ムダ」という意味が不明なものである。あまりにレベルが低い報道姿勢ではないだろうか?

 すなふきんさんの日記には、僕が昨日、書きそびれたことが適確に書いてあるので長文引用で申し訳ないが以下に掲載させていただく。

すなふきんの雑感日記:何が言いたいかよくわからないんですが?

定額給付金撤回しろの大合唱なんだけど、つまりは完全にやめちゃってそのカネをどっか「効率的な分野」に回せということらしい。それって結局公共事業やれということと同義なんだけど、つい先日まで「公共事業は無駄」と叫んでたマスコミ人の同じ口から出てくるのは不思議な光景だ。いや、公共事業そのものが無駄なんじゃなくて、公共事業の中でも必要(福祉や介護など)なのと無駄(道路、ハコモノ)なのがあるんだ、その見極めが大事なんだとお決まりの答えが返ってくるかもしれないけど、そもそもその「見極め」を誰がやるのかという話。どっかの官僚がやるのか?どうやらおカネの使い道を国民自身が自由に決められるより、「お上」によって恣意的に決められる方がいいと思ってるらしい。「国の借金」とかいつもうるさいのだし、だったら国民が国に貸しているおカネが返ってくると単純に考えれば何も文句はないはずなのに、なぜかそれは気に入らない。

 プログラマになりたいさんhttp://d.hatena.ne.jp/dkfj/20090106は20代に集中的に給付金を配れ、という刺激的な案を提起されている。あわせて参考になった。

(おまけ)あといいかげんに首相の漢字の間違いをいちいち新聞に大きくとりあげるのもやめたほうがいいのでは? 首相が漢字知らないのは十分にわかったけれども、もうただの「いじめ」のレベル。新聞が露骨な個人攻撃してどうなるんだろうか? 読んでて正直、気分が悪くなる。