梶ピエールのブログ

はてなダイアリー「梶ピエールの備忘録。」より移行しました。

人民元の変動をめぐって―データを見ろ―

 あけましておめでとうございます。新春早々無粋な話で失礼します。

 前のエントリに対する批判的なコメントがあったため、それに応えるついでに、昨年5月以降におけるドル−元レートの日々の変動をあらわすグラフを作ってみた。

 こうすると確かに、2005年7月にドルペッグ制が停止されて以来続いてきた緩やかな元の対ドル増価トレンドが、7月中旬に大きな転換点を迎えていることがわかる。そしてそれ以降は短期間の間には何度も元安局面が生じている。「政府の元安介入があるのではないか」とささやかれたのは12月の初頭であったが(赤い矢印の部分)、こうして中期的なトレンドを見てみると、実際のところ大騒ぎするような動きは何もなかったことがわかる。たまたま時期がポールソンの訪中に重なっていたところからいろいろな憶測を呼んだだけだったのだろう。日本経済新聞をはじめ、世論をミスリードするようなニュースを流した新聞各紙には、飯田泰之氏の顰にならって「(「消息筋」からの情報に頼る前に)データを見ろ」と言っておきたい。

 では、7月中旬以降の「転換」はどう捉えればよいだろうか。ここで基本に立ちかえって国際収支の恒等式を確認しておこう。

経常収支黒字+資本収支黒字+誤差脱漏=外貨準備の増加分

 たとえば左辺における資本収支黒字が大きく増加したとき、自国通貨には増価圧力がかかるため、それを防ごうと思えば通貨当局は外貨(ドル)買い介入を行わねばならず、その結果右辺の外貨準備が増加するわけである。津上俊哉氏のエントリにリンクされている図から示唆されるように、2008年6月までは、基本的にホットマネーの流入が続き、急激な元高を防ぐため当局がドル買い介入を行っていたため、緩やかな元高傾向のもとで外貨準備が増加していたと考えられる。しかし、2008年6月ごろから、むしろホットマネーの流出傾向が現れてきており、このためそれまでの緩やかな元高傾向がストップし、一時的な元安局面がみられるようになったものと考えられる。つまり、最近の元ドルレートに最も影響を与えているのはあくまでもマーケットの動向だ、というのが「データを見」た上での妥当な判断というものではないだろうか。

 それにしても、なぜ6(7)月なのだろうか。たとえば、本来ならば元安要因となるはずの、6年ぶりとなる第一弾の金利引き下げが行われたのは9月16日である。この点に関してはさまざまな可能性が考えられるが、中でも重要だと思われるのは歩厘さんも指摘するように、この時期以降「インフレ抑制よりも景気対策を優先させるべきだ」という国内の声が急速に高まっており、また同じ時期には輸出税の還付率の引き上げも行われている点である。これらの一連の動きが将来の利下げを含む金融緩和への期待を生み、資金の流れの反転が生じた、というのがとりあえずもっともらしい解釈なのではないだろうか。

 ただ、この間元-ドルレートはほとんど変化していないものの、リーマン・ショックの前後では市場におけるもう一つの「転換」があったかも知れない。そのことを示唆するのが前のエントリで論じた、昨年10月における外貨準備高の減少である。もちろんユーロの減価などの影響はあったにせよ、同時期に経常収支の黒字額に目立った変化がないことを考えれば、リーマン・ショックの影響によって民間部門におけるかなりの資本流出が生じたと考えてもそれほど的外れではないだろう。

 これは、ある意味で当然の現象である。深刻な金融危機によって、世界中で決済通貨たるドルの流動性への需要が高まっている中、新興国の通貨の中で中国の元だけがドルに対して増価を続けていくと投資家たちが考えるとしたら、そのことの方がむしろ不自然である。実際レアルにせよルーブルにせよインドルピーにせよ、リーマン・ショックのあとは大きく減価している。にもかかわらず、昨年10月以降もほとんど元安が進んでいないということは、当局は輸出企業を救済するための元売り介入どころか、元の急速な減価を防ぐために、豊富な外貨準備を用いてむしろ元買い介入を行っている可能性のほうが高いのではないだろうか。すなわち、「人民元レートが合理的な均衡水準上で基本的に安定することを維持」する、という中央経済工作会議の方針は、むしろ元安の急速な進行を警戒したものとみるべきだ、というのが私の見方である。
 いずれにせよ、「中国は政治の国だ」という先入観を捨てて基本的な経済データの動向をじっくり見ていけば、意外といろいろなことが整合性を持ってみえてくるものである。というわけで「中国経済を論じるときもまずデータを見ろ」、この言葉を2009年も肝に銘じることにしたい。