正社員の賃金を削って非正規に回そうという話にならないのか

hamachan先生がご自身の著名なブログで、この12・13日に京都で開催された関西生産性本部の「第19回労働トップフォーラム」での先生のご発言を紹介されています。たいへん興味深い問題提起をいくつも含んでいますので、取り上げてみたいと思います(紹介の都合上、パラグラフに通し番号をつけさせていただきました。どことなく連合の「事務局長談話」を連想しますが、他意はありません)。なお5.の(追記)はフォーラムでの発言ではなく、ブログ上での補足のようです。

  1. アメリカのビッグ3の救済案が、賃金引き下げに組合が反対してつぶれたという報道がありましたが、詳細はわかりませんが、日本なら、会社がつぶれるというときになんだという話です。アメリカの敵対的労使関係文化の問題点でしょうが、しかし、アメリカとは違う意味で日本の組合も問われていることがあります。非正規がどんどん切られているときに正社員の賃金を削って非正規に回そうという話にならないのか。(中略)
  2. 少し刺激的なことをいうと、解雇にどう対応するかという議論もする必要がある。今まさに、内定取り消しや非正規労働者の打ち切り雇い止めが行われているわけですが、例えば、今大学4年や高校3年の人は内定取り消しに遭っている、今年入社した人は久しぶりの売り手市場でかなり楽に就職している、その一回り上の人たちは就職氷河期で未だに非正規でやっている、というような情況で、たまたま今年入った正社員の雇用(だけ)を守ることが、どこまで「正義」なのかという問題です。
  3. 世の中には、およそ解雇規制はことごとく撤廃せよ、というような暴論をはく人たちがいて、そういうばかげた暴論に反論している分には、こちら側の矛盾は露呈しないのですが、しかし誰かに犠牲になってもらわなければならないというときに、むかしの主婦パートやアルバイト学生が非正規の中心であったときと変わらずに、単純に非正規を犠牲にして正規だけの雇用を守れといえるのか、これは再考するべきところでしょう。
  4. 持続可能性ということで考えるべきは、労働組合、労働運動の持続可能性でしょう。その際、ポリシーを論じ決める局面と、それを現実に落とし込んでいく局面の違いを念頭に置いた上で、現実に足をつけた、しかし現実に足を取られない的確なポリシーを打ち出していく必要があると思います。ややもすると、現実に足がついていない空論をナショナルセンターで出すけれども、現実にどっぷりつかった単組では全然読まれないという事態に陥りがちで、そこで産別や地域組織の意義があると思うのです。
  5. (追記)これって、最近はやりのトリアージの応用問題でもあるんですね。災害医療で資源の制約がある時に、誰の命を優先的に救うべきかが問題となるように、会社が危機的状況でどうしても誰かにやめてもらわざるを得ない時に、誰のクビを優先的に救うべきか。かつては、男性正社員は女房子どもの生活に責任を負っている一方、パートは亭主に扶養されているから、アルバイトは親に扶養されているから、先に辞めてもらうことが社会的に正当性があると見なされていたわけです(もちろん、シングルマザーのように、そうでない人々はいたわけですが)。それはそれで一定の状況に対応したトリアージの回答であったのでしょう。しかし、正社員の中にも自分の小遣い稼ぎでしかない人もいる一方、非正規で生計を立てている人が多くなってきた情況で、その回答がいつまでも社会的正当性を維持しているのかは、そろそろ見直しの必要があるでしょうということなのです。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/19-4765.html

まず1.からですが、「日本の組合も問われていることがあります。非正規がどんどん切られているときに正社員の賃金を削って非正規に回そうという話にならないのか」ということですが、組合に対してこういう問いかけをしたのが鋭いところです*1。なぜなら、もし組合が「正社員の賃金を削って非正規に回そう」ということで正社員・非正規双方のコンセンサスを形成し、交渉を求めたとしたら、経営サイドとしてこれを強く拒む理由がなさそうだからです。
逆に、企業の側からそれを持ち出すことは、ありえないことではないにしてもやや理屈が通らないものがあります。法律や行政の世界ではいわゆる正社員について「期間の定めのない雇用」というとらえ方がされるわけですが、人事管理の実務においてはむしろ「定年までの期間の定めのある雇用*2」と考えられていることが多いと思われます。定年までの雇用を保障するかわりに、正社員は企業の必要に沿った柔軟な配置・移動・職種変更とそれに応じた高度な能力の形成・蓄積、さらには業務の繁簡にあわせた時間外労働などに応じるわけです*3。また、この「定年までの雇用保障」は、正社員に生産性向上や人材育成に取り組ませるうえでもほぼ必須の要件となっています。生産性向上に協力して必要人員が少なくなり、結果として自分の雇用が失われるということでは、誰も生産性向上に協力するはずがありません*4。また、後進の指導・育成にしても、育成した後進が自分の地位、ひいては雇用を脅かすのであれば、やはり誰も後進の育成などしないでしょう。
ですから、正社員を定年前に(社員に相応の非がないにもかかわらず)解雇するというのはかなり重大な約束違反であり、これが法で規制されているのも妥当と申せましょう。また、雇用に限らず、賃金などの労働条件も定年までの雇用を前提に、むしろ途中での離脱を抑制し勤続を促進することを趣旨として設計されていることが多いため、これを切り下げることもやはり約束違反であって、これまた合理的な理由を必要とするとされているのも妥当です。
いっぽう、非正規については期間を定めていることが多く、また能力形成への期待度はそれほど高くなく、あるいは労働時間についても働く人の自由度が高くなっています。したがって、非正規の基幹的業務への進出もかなり進んではいるものの、やはり正社員に較べれば技能の形成・蓄積の程度は高くなく、賃金などの労働条件もそれに応じてあまり長期勤続奨励的なものではない形で設計されている(多くの場合は外部労働市場で大筋が決まる)のが実情でしょう。
もちろん、非正規であっても期間の定めがあるのならその期間が満了する前に解雇することは重大な約束違反であり、相当の理由がなければ許されないことは言うまでもありません。一部にみられる非正規の期間満了前解雇、あるいは派遣社員の契約期間内の解除(いわゆる「派遣切り」)は、よほどの事情があるにせよ、やはり厳しい批判は免れないものと思われます。いっぽうで、企業が減産、あるいは販売減などに直面した際には、正規・非正規の別なく、約束した期限が来た人から退職していただく(解雇ではない)のが、もっとも約束にかなった対応ということになるわけです。これは、企業内に蓄積した技能の流出を抑制するという意味でも合理的な行動と申せましょう。
したがって、企業の側から「正社員の賃金を削って非正規に回そうという話」を持ち出すことは、程度はともあれ約束違反であるには違いありませんので、なかなかやりにくい話になります。逆にいえば、労組が従業員の意見を「正社員の賃金を削って非正規に回そうという」ことでまとめて経営サイドに申し入れてくれば、これは一種のワーク&ウェイジシェアリングであって経営サイドとしては総額人件費が増えるわけではなく、それなりに戦力化している非正規も温存できるわけですから、乗り目のない話でもないでしょう。すでに非正規の労組ではこうした主張もあるようですが*5、重要なのは正社員を組織している労組がそういう方向で組織をまとめられるかどうかです。
まあ、そうなったらそうなったで、外野の株主やらアナリストやらから「そんな手ぬるいリストラではダメだ」というプレッシャーがかかるかもしれませんが…おっと、株主を一律に「外野」扱いは失礼でしたかね。これに対抗するには、政治的にこうしたワーク&ウェイジシェアリングを(2.の表現を借りれば)「正義」として法定するという考え方もありえます。連合の高木会長は「非正規の人に対しても、経営者が解雇回避の努力を尽くしたかどうかなど、正社員と同様な整理解雇の原則が適用されるべき」と主張している*6ようですが、これはそうした路線といえましょう。ただ、こうした「非正規を正社員と同様に扱う」という路線は、逆にいえば正社員の非正社員化であって、正社員の解雇を容易にすることを通じてhamachan先生が3.で指摘しておられる「およそ解雇規制はことごとく撤廃せよ」という路線に近づいていくことでもある*7のですが…。
2.のところの議論も似たところがあって、企業実務にとって採用内定というのがどういうものかというと、これは採用を約束したことは間違いない。ただ、入社してはいないから、たとえば単位を取れずに卒業できなかったとか、場合によっては採用できないこともあります*8よ、というものでしょう。ですから、やはりこれを取り消すことは基本的には約束違反ですから、やはり法的な規制がある。ただ、正社員の解雇と同等かというとそうではない。企業にしてみれば、前述したように定年や期間満了など約束の期日が到来した人から退職していただき、それでも間に合わないというときに法的要件をおさえつつ内定取り消しに踏み切らざるを得ない、ということではないかと思います。ですから、企業にしてみれば、自らがそれぞれの従業員と結んだ「約束」を守ることが「正義」であるとして、今年採用した正社員の解雇より、来年採用予定の内定者の内定取り消しを先行させざるを得ないわけです。それを超越した「正義」は、企業にはなかなか設定しにくい。ですから、たとえば労組が「昨年楽勝で就職できた正社員の一部の首を飛ばして、今年苦労して内定を得た内定者を採用することをわが社における『正義』としましょう」という提案/要求をしてきたとすれば、これは経営サイドとしても少なくとも「誠実に交渉に応じる」ことになるでしょう。その結果がどうなるかは別ですが…。
もちろん、政治レベルでこれを「正義」として法定する、ということも考えうるでしょう。ただ、それをどう法制化するかは技術論としてかなり難しいものはあります。ともすれば、それは3.で指摘されているとおり「およそ解雇規制はことごとく撤廃せよ」という議論になりがちなわけですが…。
さて、3.の「むかしの主婦パートやアルバイト学生が非正規の中心であったときと変わらずに、単純に非正規を犠牲にして正規だけの雇用を守れといえるのか、これは再考するべきところでしょう」とか、5.の「男性正社員は女房子どもの生活に責任を負っている一方、パートは亭主に扶養されているから、アルバイトは親に扶養されているから、先に辞めてもらうことが社会的に正当性があると見なされていた」「正社員の中にも自分の小遣い稼ぎでしかない人もいる一方、非正規で生計を立てている人が多くなってきた情況で、その回答がいつまでも社会的正当性を維持しているのかは、そろそろ見直しの必要がある」というのはhamachan先生のかねてからのご持論で、私の理解では「非正規をゼロにするまでは正規の解雇は許さない」という現行の整理解雇規制を緩和して、非正規の雇用を維持しつつ一定の正規の解雇を可能とする」というマイルドな規制緩和路線であろうかと思います。
ただ、こうした規制緩和を行えば、企業とすれば生計費とは無関係に、企業にとっての有用性で解雇を行う可能性があります。一家5人を養っている正社員でも有用でなければ解雇し、小遣い稼ぎのパート・アルバイトでも有用であれば雇用し続ける、ということになりかねません(現実には企業も生計費に相当の配慮を行うことが多いのではないかとは思いますが)。かといって、生計費を解雇基準に織り込むというのもなかなか難しい話のように思われ、結局は正社員の雇用が不安定化するデメリットが大きく出てきてしまいそうな気がします(気がするだけなので違うかもしれませんが)。
労働条件を決める際には生計費に配慮することが重要であることはもちろんですが、個別の生計費確保をすべて雇用や賃金で実現しようというのにも無理があるでしょう。特に不況期、とりわけ現状のような異常事態下において、企業による雇用や賃金で失業による生活困窮者を救済しようというのは無理が大きいと考えざるを得ません。失業給付や、生活保護などの福祉的給付で生計費を確保するか、雇用されている状態にこだわるなら雇用調整助成金を拡充して休業させるか、あるいはどうしても就労にこだわるなら政府が公的部門で雇用することも考えられます。それでは「企業が責任(?)を果たしていない」という感情的不満が残るようであれば、大きな利益を上げている企業や、そこからの配当を得ている株主に重課税してそれを再分配すればいいだけの話です*9
4.は労組に対する提言なので私にはなんとも申し上げられませんし、実際のところhamachan先生が具体的にどんな局面を念頭にご発言されたのかもわかりません。ただ、前回の雇用調整局面においては、ナショナルセンターでは緊急対応型ワークシェアリングのようなワーク&ウェイジシェアリングが提唱されたものの、「現実にどっぷりつかった単組」レベルになると、組合員からの「どうして俺たちの賃金を下げなくちゃいけないんだ、あそこに働いてない奴がいるじゃないか」という声におされて、「だったら割増退職金を積ませれば良いか」と希望退職募集を選んだケースのほうが多かったように思われます(もちろん、一時的に賃金カットして雇用維持したケースもありましたが)。今回の局面でも、連合の高木会長は前述のように旗を振ったとしても、現実にどっぷりつかった単組は「そうも言っていられない」ということになる可能性は高そうです。そこでどのようなコンセンサスを作れるのか*10、hamachan先生は産別や地域組織に期待しておられるようですが、さて期待に応えられますかどうか、奮起が望まれる局面かもしれません。

*1:ただし、現実には非正規の雇用が失われるのは契約期間満了による雇い止めがその太宗を占めていると思われますので、「どんどん切られている」という表現はいささか情緒的に過ぎる感はありますが。

*2:ただし、これは出向や転籍まで含めて何らかの形では雇用の場を確保する、というかなり幅広いものではありますが。

*3:これを指して「拘束度が高い」と表現することも多いようです。

*4:関西生産性本部が主導する生産性運動も「雇用確保」をその最大の指導理念のひとつとしています。

*5:たとえばhttp://www.asahi.com/special/08016/TKY200812130248.html

*6:http://www.asahi.com/special/08016/TKY200812130243.html

*7:なお、解雇規制撤廃論については私は非常に懐疑的です。これについては今年8月21日のエントリで多少詳しめに論じましたので、ご関心のあるむきはあわせてご参照いただければと思います。http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20080821

*8:どんな場合に採用できないかの内容や、それを明らかにして合意しておくといった手続はしっかりしたものにしておく必要がありますが

*9:もっとも、これが適当かどうかは疑問があります。企業の「雇用責任」(?)を重視する感情的不満には情においてわかるものはありますが、やはり雇用に関する企業の責任は社会のニーズに応える財やサービスを提供し、あるいはイノベーションを通じてより優れた財やサービスを開発することを通じて、雇用の場を提供し、さらには増やしていくところにあるという冷静な理解が必要ではないかと思います。そう考えれば、企業への重課税、特に活力ある企業への重課税によってその活力を奪うことには慎重であるべきであり、むしろ法人税減税を通じて企業の活力を向上させることが結局は雇用対策としても趣旨にかないましょう。もちろん、企業の活力がより雇用の増加に多く向かうようなしくみづくりは重要です。株主の配当への課税についても、同様に株主が企業活力の向上に資しているかどうかを重視すべきでしょう。そう考えると本当の意味でのベンチャーマネーに対する配当に重課税することは好ましくありませんが、上場企業の配当には重課税してもいいのかもしれません。

*10:もちろん経営サイドがそれなりにアクセプタブルなものでなければ実現は困難です。