中岡望の目からウロコのアメリカ

2008/11/16 日曜日

”悲劇の時代”としてのブッシュ政権の8年:何がアメリカを誤らせたのか

Filed under: - nakaoka @ 21:15

今、ワシントンでの大きなテーマのひとつが、いかに屈辱感を味あわせないでブッシュ大統領の8年の幕を閉じるかとのがあります。オバマ次期政権の組閣作りが進む中、ブッシュ政権の影響力は完全に消えてしまいました。11月15日にワシントンで開催されたG20が最後の舞台になるでしょう。今回は、8年間のブッシュ政権がアメリカに何をもたらしたのかについて書いたものです。これは『選択』(11月号)に寄稿したオリジナル原稿です。

2001年、ブッシュ政権は不幸な出発をした。大統領選挙ではフロリダ州の投票結果の妥当性に関して最高裁が下した判決によってブッシュに勝利がもたらされた。ブッシュ大統領は最初から“最高裁が決めた大統領”という負い目を負い、その正統性に疑問が投げかけられていた。獲得した選挙人の数は当選に必要な270人をわずか一人上回るだけで、総得票率ではゴア民主党候補の48.2%を下回る47.9%に留まった。

ブッシュ政権の正統性がアメリカ国民に初めて認知されたのは、大統領就任後九ヶ月後の9月11日に起きた連続テロ事件であった。アメリカを守る強い大統領を誇示することで、ブッシュ大統領は選挙の負い目から抜け出すことができた。それと同時にアメリカ国民は連続テロの心理的トラウマに囚われ、強い大統領に導かれたテロとの闘いに喝采を送った。

だが、現在、多くのアメリカ人は、「この8年間は何だったか」と自問しているに違いない。10月13日、「ワシントン・ポスト」紙とABCニュースが共同で行った世論調査では、実に90%の回答者が「アメリカは間違った道を進んでいる」と答えている。国民の九割がブッシュ政権のアメリカは間違っていると感じているのである。

イラク戦争は泥沼化し、住宅バブルで享受した高成長・高消費もバブル崩壊とともに崩れ去り、今まさにアメリカは金融危機の最中にある。人々はリセッションと失業の影に怯え、かつてアメリカ産業の強さを象徴した自動車業界が壊滅状況に陥るという屈辱を味わっている。クリントン政権末期に実現した財政黒字も9月末に終わった前会計年度では4550億ドルと史上最高の赤字を計上している。今年度は金融機関救済に伴う出費もあり、赤字幅は7000億ドルを上回ると予想されている。さらに財政赤字は1兆ドルに達するとの見方もある。

テロリストの影に怯えるブッシュ政権は、アメリカの歴史が作り上げてきた民主主義の伝統すら空洞化してしまった。国際政治でのアメリカの“大義”は失われ、90年代に誇示した“一極支配”の構造は無残にも崩れ去り、現在では共産主義体制の崩壊のダメージから立ち直り、急速な経済発展を実現しているロシアや中国の挑戦を受けており、大国が対峙しあう“新冷戦”の始まりを予告する論者も増えている。

ブッシュ大統領の支持率は地を這っており、ハーバード大学が10月に行った調査では8割の国民は「指導力が危機に陥っている」と答えている。そこにはアメリカをテロから守る“強い大統領”というブッシュ大統領のイメージは完全に消え去っている。

ブッシュ政権は間違いなく“アメリカの悲劇”を作り出したのである。与党共和党のジョン・マケイン候補は10月15日に行われた公開討論会の席で「私はブッシュ大統領とは違う」と発言した。選挙に勝利するためにはブッシュ大統領と距離を置く必要があったのは理解できるが、過去においてこれほどまでに屈辱を味わった大統領は存在しないのではないだろうか。

何が“アメリカの悲劇”をもたらしたのであろうか。強い大統領を演出しなければならなかった政権誕生の負い目、さらに過剰ともいえるイデオロギーに対する拘りが理由として指摘できる。経済的には新自由主義思想に基づく政策はアメリカ社会に大きな歪みをもたらした。

10月21日にOECD(経済協力開発機構)が発表した報告では、先進30か国のうち貧困と不平等でアメリカはメキシコとトルコに次ぐ28位にランクされている。同報告は「2000年以降、アメリカの所得格差は急速に拡大し、1970年代に逆戻りしつつある」と指摘している。まさにブッシュ政権誕生後、所得格差が急速に拡大し始めたのである。10月15日に「ワーキング・プアー・ファミリー・プロジェクト」が、2006年でアメリカの9600万所帯がワーキング・プアーであるという統計を発表した。その数は2002年から35万所帯以上増えている。

ブッシュ政権が誕生した2001年の時の失業率は4.7%であった。今年9月の時点で失業率は6.1%である。自由競争、市場主義、規制緩和、小さい政府で表現されるブッシュ政権の新自由主義経済政策はアメリカを豊かにすることはなかった。規制緩和は巡り巡ってサブプライムローン問題を引き起こし、アメリカ経済のみならず社会にも壊滅的なダメージを与えつつある。今、アメリカでは家を失ったホームレスの数が急増している。「USAツデー」紙によれば、2007年1月の時点で主要都市のホームレスの数は67万人を超えている。

ポートランド市の福祉担当者は「昨年の9月から今年の6月までに緊急宿泊所を訪れるホームレスの数は倍に増えている」と、この1年に状況がさらに悪化したと指摘している。ローンが返済できずに住宅を差し押さえられた件数は今年の1月から8月までで200万件を上回っている(昨年は134万件)。来年、その数はさらに増えると予想され、ホームレスの数はさらに膨れ上がるだろう。さらに付け加えれば、アメリカには健康保険に加入していない人々が4570万人(2007年国勢調査)おり、医療保険制度改革は大統領選挙の主要テーマとなっている。
ブッシュ政権が残した“負の遺産”は、あまりにも大きく、深刻である。

アメリカの悲劇は経済問題に留まらない。もうひとつのブッシュ政権の不幸は、明確な外交政策を持たぬままに出発したことだ。連続テロ事件を待ち焦がれていたのは湾岸戦争でサダム・フセインをイラクから放逐できなかったことを後悔していたネオコンたちであった。彼らは、この機を逃さず、ブッシュ政権をテロとの闘いからイラク戦争へと誘導していく。強い大統領を演じる必要があったブッシュ大統領はネオコンが書いたシナリオに乗って、イラクへの侵攻を始める。だが、ネオコンが楽観的に語ったようにアメリカ軍は花束をもって歓迎されることはなかった。

それ以上にブッシュ政権は深刻な傷をアメリカ社会に残した。ブッシュ政権にとって“テロとの闘い”はすべての政策を正当化するものであり、またアメリカ国民もそれを受け入れた。ブッシュ政権は、キューバのガンタナモ基地とイラクのアブグレイブ刑務所におけるイラク人容疑者の拷問を、“テロとの闘い”を口実に正当化した。ブッシュ政権はジュネーブ協定を無視し、人道的な罪を犯したのである。2008年6月に最高裁はブッシュ政権の対応を違憲と判断したが、ブッシュ政権の政策がアメリカ民主主義の信頼性を大きく傷つけたことは間違いない。

「憲法修正第4条」は令状なく不当な調査や押収を行うことを禁止している。ここでもブッシュ政権は“テロとの闘い”を口実に令状なく盗聴を行ってきた。これは明らかに憲法違反であり、アメリカの民主主義の精神に反する行為である。議会も政府に同調し、今年の7月に「海外秘密情報監視法」を改正し、令状なしで政府に盗聴する権限を与えている。“テロとの闘い”がアメリカ民主主義の精神を空洞化させたのである。

ブッシュ政権下の8年間にアメリカは社会的にも、経済的にも、政治的にも、また外交的にも劣化したことは間違いない。アメリカの本当の悲劇はテロリストに対してパラノイア的反応を示し、アメリカという巨象がテロリストという蟻と戦うためにアメリカ民主主義の基本を踏みにじったところに本源があるのだろう。

2件のコメント »

  1. >今、ワシントンでの大きなテーマのひとつが、いかに屈辱感を味あわせないでブッシュ大統領の8年の幕を閉じるかとのがあります。

    この書き出しには違和感を感ずる。

    「屈辱感を味わわせないで」というとき、誰が誰に対してそう考えているのかということだ。

    アメリカ国民ならず世界中のかなりの人々は、ブッシュに「屈辱感を味わわせたい」、死ぬまで癒えることのない屈辱感を味わい続けてもらいたいと思っているに違いない。

    もしブッシュが「屈辱感を味わわず」にやめることを願う関係者がいるとすれば、案ずるほどのことないのかもしれない。ここに書かれているように、ネオコンの甘言に軽々とのせられたていどの知性の人物だったとすれば、屈辱感を覚える神経など持ち合わせていない可能性が高い。(話が飛躍するが、安倍晋三とある意味似ているかもしれない、ふたりともそもそも権力中枢に座るにはあらゆる意味で愚かすぎ、無神経すぎた)

    ブッシュはやるべきことは何一つせず、やらないでよいことばかりをした最悪の大統領という評価がついて回ることになるだろう。経済の破綻は必ずしも彼の責任ではないが、決定的曲がり角を曲がった時の大統領として、記憶されるに違いない。もし彼に「悲劇性」があるとしたら、そのことのみが悲劇であって、あとのことがらはすべてブッシュが自らの愚かさによって招き寄せたものであることは間違いのないところであるから、何ら悲劇性はない。

    その意味ではアメリカにもまた悲劇性はない。今日の状況に及んでもなおペイリンのような愚かなおばさんを「草の根保守」と持ち上げるような人々が、約半数いるような社会の躓きは喜劇ではあっても悲劇ではない。

    コメント by 鈴の音 — 2008年11月22日 @ 13:34

  2. 非常に参考になりました。

    コメント by ホスクラ — 2008年12月8日 @ 14:11

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