アンナ・シュウォーツの「いまは昔の彼(女)ならず」論再考

 自分の本(バーナンキ本)ではシュウォーツと表記してあったので以後はそれに統一します。このエントリーのはてブでecon2009さんにも指摘されたので、改めて彼女の「いまはむかしとちがう」=清算主義のすすめ、について率直に思うところを書いて見ます。

 昔のシュウォーツは金融危機を「真の金融危機」と「擬似的金融危機」に区別していました。

 「真の金融危機」の特徴は、金融機関の経営の健全性と銀行制度そのものへの信頼性が損なわれることにあります。例えば、「真の金融危機」のプロセスは、まず社会的な大事件や企業の倒産などにより、これに融資などで関係している銀行や金融機関に対する民間の信頼感を喪失することから始まります。

 このような信頼感の喪失(パニック的な群集心理)は人間行動に固有なものかもしれませんがこれが絶えず問題化するわけではなく、そんなに頻繁に起きていないことに注目することが現在では重要である、というのは下のエントリーで書いた通りです。

 ではこの信頼感の喪失(パニック的群集心理)が「真の金融危機」に至るというめったに起きない現象がなぜ起きるのかといえば、それはこの心理的混乱に対して、連邦準備銀行イングランド銀行といった金融当局が、初期の段階で、健全な債務者への貸付や預金者の流動性需要についての確固たる方策を示すことに失敗してしまうからです。

 つまり金融当局の失敗によって公衆の信頼が喪失することによって、銀行取付の波及が起きる*1。そして金融制度の健全性が失われてしまうことになります。

 これに対して「擬似的金融危機」というのは、チャールズ・キンドルバーガーの表現を借りれば、「過剰な投機の崩壊を原因とする、株・不動産・商品など資産価値の下落、自国通貨の下落、および非金融企業、地方財政、金融業、債務国の金融的な困窮」を意味します。そしてこれらの現象は景気循環のあらゆる局面で発生するよく観察できる現象であると思います。

 しかし「真の金融危機」による金融システムの破綻が、企業への健全な信用の供与を阻害し(=信用縮小)、景気を不況へと導いてしまう。この点で金融危機景気循環と密接につながります(この点はシュウォーツ自身よりも、バーナンキ、ガトラー、ミシュキンらの業績が詳細にしたところだと思います)。

 ただシュウォーツは、金融当局が政策的な誤りを犯さないのであれば、本来、公衆の心理的混乱は短期的な現象であり、公衆の追加的な通貨への需要が満たされれば、危機は自然と終息する、とも述べています。もちろんこの対応に失敗すれば、本来短期的な現象であるはずの公衆の心理的混乱が「真の金融危機」へと発展してしまいます。そうならないためには、繰返しますが短期金融市場で資金が不足しないように供給していく、というのがこのとき採用されるべきひとつの政策でしょう。

 やや単純な図式化をすれば

 金融機関などへの公衆の不信(心理的混乱) → 心理的混乱を示す指標としての銀行間貸出金利などの急上昇 → 金融当局の追加的な流動性供給やその他の対応→以下の①か②へ

 →①成功すれば「真の金融危機」には至らずまもなく終息
 →②失敗すれば「真の金融危機」へ→銀行取付の波及、金融システムの健全性の損失 →指標としてはクレジット・スプレッドの急上昇や銀行などの波及的倒産*2 →不況へ
 
 この「真の金融危機」について金融当局の対応が重要なのは無論なのですが、他方で「擬似的金融危機」の方は金融当局の積極的介入をシュウォーツは支持していません。原則、市場にまかせておけです。

 ところで今回のシュウォーツの「いまはむかしと違う」論なのですが、彼女は「真の金融危機」の②のケースとして、金融当局の政策が失敗(昨日と今日でやってること、いうことが違うなどで生じる問題)していることが信用リスクを高め、それがクレジット・スプレッドの高止まりを見せていると考えているようです。ならばここでは金融当局は厳格なルールを設定することで公衆の信用を得るべきでしょう。また追加的な流動性の供給という選択肢も排除すべきではないことは以上からも当然なのですが、今回は彼女は「流動性はたっぷり確保されてるけど、問題は誰も金融当局の日替わり政策を信じていないことにある」といいたいのだと思います。

 しかし彼女が今回特に熱心にすすめているのは、ゾンビ企業の清算という「擬似的金融危機」の場合でさえも明言はしていなかった、極端な放任主義にもとれるような発言であると思います*3

 シュウォーツの今回の「いまはむかしと違う」という発言をみていると、従来の彼女の見解とはやはり違い、ある部分では「真の金融危機」の議論を、ある部分では「擬似的金融危機」での議論をほぼ並存させて話しているように思えます。まあ、あんまり彼女の現在の議論にふりまわされるのは(別にシュウォーツ解釈学をやる意義はそんなに見出し難いので)へんなものを召還しそうなのでこれくらいにしておきますが。笑。

 僕自身の見解ではいろいろ問題はあるでしょうが、なんとか米国当局は②に完全に嵌ることだけは避けた、というのが妥当ではないでしょうか。そして理論的にはスマートではないですが、よくありがちなように次第に公衆の信用を得て、クレジット・スプレッドなども改善していくのではないでしょうか。もちろん①と②のようにくっきりスマートに結末がなるわけでもなく、②を回避してさえも、よくありがちな不況がやがてはっきりしてくるのではないでしょうか。

*1:ここでも指摘しているが一行への取付けと取付けの波及はかなり違う現象であることに注意

*2:これらをバーナンキは83年の有名な論文で資金調達費用CCIとして考えていました

*3:この部分だけ取り出して喜ぶ日本のネット妄言もいるようですがまあかわいそうなので許してやってください 笑

はてブの経済学

 大竹文雄さんの論説を紹介したエントリーのはてブをいま見て驚いたのだが、かなりいろんな反応があるのだな、と思った。ひとつ興味深いと思ったのが、大竹さんのブログへの該当するテーマにかかわるコメントがいま現在一件もないことである。はてブの中には僕からみても興味深い意見がある。ついでなので調べたら大竹さんの該当するエントリーにもはてブがついていない。はてブの意見の大半は、大竹論説への意見なのだから直接ご本人に届いたほうがいいんじゃないかなあ、とおせっかいにも思ったりもする。

 僕は大竹論説の趣旨(エントリーにも書いたが世代間の利害にかかわるゆがみを正すという方向性)には賛成している。しかしその手法そのものは、これもエントリーの後半に書いたが投票率の低下という前提について大竹論説に疑問を思っているので判断を控えている。なので僕がはてブについている意見や反論に応えるのもへんな気がするのだが、中には上にも書いたがちょっと面白い観点もあるので敷衍したいのだが。

ひとつだけ見ておくと、子供の選好を親がちゃんと反映して投票をすることができるのか、という問題提起があった。これはこれとして重要なのだが、大竹論説を読むと20,30代の投票率を上げるために子どもの分投票権を与えるというのが目的になっている。したがって必ずしも親が子どもの選好を反映して投票を行うことが目指されているわけではなく、その20、30代の利害が反映していればいいのではないだろうか?

人間はなかなか金融パニックに陥らないという前提で考えると

 最近、よく読まれているらしいブログを拝見してちょっと疑問に思うことがあった。というか自分で問題として勝手に切り出しているのだが、http://d.hatena.ne.jp/eliya/20081005/1223185647で人間は簡単にパニックに陥るとある。

 でも銀行取付が波及して金融システム自体が不安定になるケースというのは非常にまれなように思える。また一行だけの取り付け(取り付けの波及と一行だけの取り付けは議論としてかなり違うものになる)でもそれほど頻繁に観察されるかというとそれも疑問に思う。むしろ20世紀後半から現代まで人はほとんど金融パニックを起こさなくなっているともいえる。最後の貸し手への信頼(これが決定的)や預金保護制度などの完備がそのような金融パニックを防いでいるといえるのだろう。

 このように人々がパニックに陥りにくい中でどうして今回このようなことが起きたのか。それを考えていくとパニックを防ぐと信頼されてきた「最後の貸し手」すなわち中央銀行への信頼が揺らいでいるのだ、というのが先日ここで紹介したアンナ・シュワルツの指摘であったと思う。Mark Thomaはそれに対してFRBではなく財務省の問題であるとも指摘している。つまり今回の金融危機は人々のパニックがほとんど起こらない仕組みの中で起きてしまったことが問題を正しくみる上でのキーだと上記の人たちは考えていると思われる。しかがってパニックの原因を上記の人たちのように考えるならば規制のないヘッジファンドや証券会社がなにかしたことがパニックの原因であるともいえない。規制のあるなしにかかわらず、シュワルツーThoma流のパニックは生じてしまうだろう。これは今回のパニックをうけて、「規制の議論」が高まるだろうが、忘れてはいけない論点になるだろう。

 (補)だからここで山形さんがここでネタとして言及しているような意見=「欧米流のDcfに基づく近視眼的な短期のビジネスモデル」が金融危機の原因であり、そのようなビジネスモデルを今後規制したり、(もちろん冗談だと思うが)ラオスの Tigoモデルに従えば金融危機は防げる、というのはちょっと賛成できない議論の方向になる。これの俗化した形が市場原理主義とか新自由主義がいけない、という議論になっていくのかもしれない。でももしこの「欧米流のDcfに基づく近視眼的な短期のビジネスモデル」が駄目なビジネスモデルでありそんなものに人々が疑いをもつことで、株式市場で株価が低下したり、住宅価格が低下したとしても、それは「擬似金融危機」であり、それは基本的に放置すべきである、という意見になるのである。

信用リスク緩和へ前進&バーナンキ議長の提案&コウェンの危機三大原因

 一昨日紹介したTED Spreadはいまこのエントリーを書いている段階で3.63から2.96へと減少しリスク軽減へ前進中。またA2/P2も4.51から4.39へと同じくリスク緩和基調。

 報道によるとバーナンキ議長は、政府に対して追加的な財政措置を要望したとのこと。
 Bernanke Signals Support for Second Stimulus
 http://online.wsj.com/article/SB122451123648250027.html

 T.コウェンが今回の世界金融危機の原因を三点にとりまとめ
 Three Trends and a Train Wreck
 
 1 アジアなど新興国における「金余り」(グローバル貯蓄過剰)が投資先を求めていた。それが慎慮をもった投資だったかは別問題

 2 むしろ慎慮をもった投資を選んだというよりも、投資主体はリスクを過度に求めた。

 3 市場関係者のほぼすべてが金融制度にあったシステマティック・リスクに無頓着だった

 :Over all, then, the three fundamental factors behind the crisis have been new wealth, an added willingness to take risk and a blindness to new forms of systematic risk. All three were needed to bring about the scope of the current mess — so that means we’ve had some very bad luck on top of everything else. (略)We can do better the next time around, but we have to start by seeing that the current failure is far-reaching... The real problem is not some particular villain but rather the very fact that we cannot help but put the evaluation of risk into all-too-human hands.: