Diamond-Dybvigの銀行取付モデルをめぐるメモ

 経済エントリーよりもネタエントリーで書きたい気分なんですが。しかしDiamond-Dybvigの1983年のモデル(リンク先はここ)は、いわば預金者が(原因をあれこれ特定化せず)期待の変化だけでいわば「非合理的」に銀行取付を行ってしまうモデルだった。

 例えば、銀行と預金者の間に生じるような情報の非対称性という「原因」は彼らのモデルでは「原因」にすらなっていない。なぜなら彼らのモデルでは情報の非対称性が解消されても銀行取付は生じてしまうからだ。だから金融機関が(政府介入の下であろうが自発的であろうが)財務状況を開示するかしないかにかかわらず、Diamond-Dybvigのモデルでは銀行取付が起りうる。それがこのモデルの核心部分である。

 またもやネットの一部では妄言が一人歩きしているようだ。残念ながら妄言の方が危機的な状況では流布しやすいのが一般的であり、その種の妄言が「原因不明」で支持を得ることがまさにDiamond-Dybvigらのいいたかったことの核心かもしれない。

 ところで情報の非対称性の解消でなく、Diamond-Dybvigたちはどう銀行取付を防いだらいいのかも明記している。それは預金保険の拡充である。今回の金融安定化法案にも「預金保険の支払額の上限の引き上げ」が入っているがそれはこの種の「非合理的」ともいえる銀行取付の悪い均衡を排除するのに役立つ効果があるといえよう(ただしうまく設計してあるかどうかの検討はいまはしない)。

中川秀直噴火、「(日本銀行は)一体、何年先の話をフォワード・ルッキングしているの」だ!

 http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress0/index.php?p=1070
 「日本銀行は「歓迎」を表明した。日経新聞は「なぜ日銀は同時利下げせず」の中で、「日本が加わらなかったことで市場には主要七カ国(G7)の足並みの乱れを指摘する声が出る可能性もある」としている。記事は、日銀は資産バブルなど低金利のリスクにも目配りする必要があるとみている、と指摘する。これは本当か。世界中で、みんなが世界大恐慌を回避しようとしている中で、資産バブルの心配があるというのは、一体、何年先の話をフォワード・ルッキングしているのだろうか。政府が第二次経済対策を検討開始するというときに、日銀はまだ、資産バブルを心配しているといって政策を据え置くつもりか。」

 最近は妙に経済問題で大人しかった印象の中川氏ですが、ついにキレたようです 笑。いま「笑」と書きましたが、これは好ましいと思う親和の笑みです。「上げ潮派」の人たちのこういう側面をもっと見たいし、政治は法律を変えることであるならば、そこでこそ真価を見せてほしいと本当に思っています。リフレ派というのはただ単に「デフレを脱して低インフレ状況にもっていきそれで経済状況を改善する人たち」というだけが共通項であってそこに過度な政治的な期待をかけられても困るのですが、「上げ潮派」の人たちこそその中でもただひとつ政治的な力に最も近い人たちでそこに期待をしないでいったいどこにかけるというのでしょうか。

 「小泉政権以後の景気後退に与えた日銀の政策転換の影響は明らかである。それだけ日銀の政策転換には影響がある証拠だ。いまこそ政策「転換」が必要ではないか。第二次経済対策において、日銀の参加しない「政策総動員」はありえない」

 下のエントリーにも書きましたが激しく同意です。

 なお、産経新聞の以下の記事(田村さんの著作は正直僕には?ですが日銀批判は僕のツボに入ります)もご参考までに。

http://tamurah.iza.ne.jp/blog/entry/744973/

日本銀行は利下げ、そして積極的な量的緩和に戻るべきである

 欧米の協調利下げに、それに参加せずに日本銀行は前代未聞のエールを送るだけという声明を発表した。

 「このため、カナダ銀行イングランド銀行欧州中央銀行、米国連邦準備制度スウェーデン中央銀行、スイス国民銀行は、本日、政策金利の引き下げを公表した。日本銀行は、これらの措置に対して強い支持を表明した。」

 http://www.boj.or.jp/type/release/adhoc/un0810b.pdfより抜粋

 このような日本銀行の姿勢は、量的緩和解除、ゼロ金利解除時での将来リスクの不当な軽視とその後の「金利上げ」戦略の失敗に基づいている。

 すなわち万が一協調して利下げを行えば、自らの政策の失敗を露呈してしまうという、ただの組織防衛のロジックが上記の声明の背後にあるのは疑い得ない。

 日本銀行は緊急に利下げ(ゼロ金利政策)に転換し、長期国債買い切りなどの手段で量的緩和政策に復帰すべきである。それが政府の財政政策と連動することで、日本の不況を脱出する上で貢献することになるだろう。

コーディネーションの失敗と財政政策の関係メモ

 まあ、僕はネットの奇妙な議論にはもう付き合いきれないのですが(最近でもマンデルフレミングモデルのすごい解釈をみかけてめまいがしましたが)、なんでも最近では、財政政策が長期的な効果をもたない、ということを議論するために、コーディネーション(の失敗)の問題を持ち出して演説されている方がいるとのこと。まあ、どこの誰だか知りませんが、やはり日本のネットでの議論は僕は自分のアンテナやリンク先以外(あるいは以前とりあげた経済系ブログベスト以外)はほとんど信用しないほうがいいようです。

 例えば資本の固定性や労働の固定性が原因となって、部門間の資源移動が損なわれているケースを、コーディネーションの失敗として考えて、この経済が低位均衡に陥っているケースをみてみましょう(理論的な詳細はRussell W. Cooperたちの論文とかそこで参照されている諸論文をみてほしい)。

 例えばそのようなコーディネーション問題に直面している経済を以下にように「45度線」ぽく表すことが可能です(この図は山形さんのところから失敬。というかリンク先を読めばこのエントリーは読まないでもいいたいことわかるでしょ? ですんで説明は大幅に端折り以下は結論のみ)。

 この図ではぐにゃぐにゃ45度線は財政支出のおかげで一時的に低位均衡から脱出しておしまいではなく、長期的に低位均衡から押し出される効果をもつ可能性が示されている。

 つまりコーディネーション(の失敗)の問題だと考えている人が、財政政策は一時的なものでやめたらおわり、とだけ考えて、財政政策には長期的な効果はない! と断言するのはどうみてもいいすぎだってことだ。

 少なくとも財政政策がコーディネーションの失敗を長期的に解消できないことを示す論拠をほかにちゃんと用意するべきなんじゃないかな。残念ながらそんな細かい配慮はネットでこの議論を得意げに語っている異空間には伝わらないだろうけど。ちなみにこのコーディネーション問題をハイエクの議論から解くのはそんなに有望な話なのかな? 僕にはまったく違ったように思えるけれども。まあ、それは「経済学史」の話なのでまたいずれ。