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リフレの経済学

不況のメカニズム

 市場に財やサービスが供給されると、その売上が私たち一人一人の所得になります。市場全体で供給された財やサービスの価値の合計を総供給、私たち一人一人の所得の合計を総所得と呼ぶことにすると、次の式が成り立ちます。

 (1) 総供給=総所得

 次に、所得の使い道について考えてみましょう。まず、そこから税金を払います。残ったもの(所得−租税)を可処分所得と呼びます。この可処分所得には、おおまかにいって二通りの使い道があります。つまり、使うか、貯めるか、です。使う場合を消費、貯める場合を貯蓄と呼ぶことにしましょう。すると、次の式が成り立ちます。

 (2) 総所得=消費+貯蓄+租税

 消費に対する支出は、つまり、消費財に対する需要です。租税は、政府が支出することによって、政府による需要になります。貯蓄は、そのままでは需要になりませんが、銀行などの金融機関を介して企業に貸し出され、投資財に対する需要になります。これらの需要が雇用を生み、それが再び私たちの所得になるわけです。ここで、総需要について、次の式が成り立ちます。

 (3) 総需要=消費+投資+政府支出

 話を簡単にするために、租税=政府支出、つまり、赤字を出さない均衡財政で運営されているものとします。すると、総供給と総需要が等しくなるための条件は、貯蓄=投資です。つまり、貯蓄がちゃんと企業に貸し出されて投資需要となることが必要です。しかし、もし、貯蓄>投資になってしまうと、総供給>総需要となります。結局は、供給しても需要の分だけしか売れませんから、総需要に併せて総供給が調整され、その中で遊休設備が増える、失業が増える、といった事態が発生してしまうわけです。これが不況です。

財政政策による対処

 不況に対処する方法としては、財政政策と金融政策があります。まず、財政政策から考えてみましょう。総供給と総需要が等しくなるためには、(2)式と(3)式より、次の式が成り立てばよいことがわかります。

 (4) 貯蓄+租税=投資+政府支出

 先ほどは、租税=政府支出と考えたので、貯蓄>投資のときには、総供給>総需要になってしまいました。では、租税<政府支出とすればどうでしょうか?つまり、投資に使われなかった余った分の貯蓄を政府が借り入れ、それで政府支出を行うわけです。余った貯蓄をすべて政府が借り入れて使えば、総需要=総供給を実現することもできるわけです。これが財政政策による対処です。

 しかし、この場合には、租税<政府支出、つまり、財政赤字が発生してしまいます。いつまでも続けることはできません。もし、貯蓄>投資の関係が中長期的に変化しないならば、財政赤字に耐えかねて租税=政府支出に戻した時点で、再び不況に陥ることになります。

 かつては、貯蓄>投資の関係は、時間がたてば自然に貯蓄=投資に戻るようなサイクルがありました。景気循環とかいう奴です。だから、一時的に財政赤字を出せば、しばらくすれば投資が戻ってくるので再び均衡財政に戻すことができたわけです。しかし、近年はこのような循環的な回復が見られず、雇用を維持するためにはいつまでも赤字を垂れ流すことになってしまいます。実際、90年代後半の小渕・森政権では、大規模な政府支出を続けて景気を支えたわけですが、その結果、莫大な財政赤字を残すことになってしまいました。

金融政策による対処、その1、金利引下げ

 そこで、二つめの対処法に移りましょう。金融政策による対処です。(2)式から租税を除いて、可処分所得だけの式を書いてみましょう。つまり、次のようになります。

 (5) 可処分所得=消費+貯蓄

 租税は政治的に決まるので、私たちが自由に選ぶことはできません。しかし、所得−租税、つまり可処分所得をどう使うかについては、私たち一人一人に委ねられます。ここで、消費と貯蓄の有利/不利を考えてみましょう。もし、金利が高いならば、貯蓄は大きく増えますし、低いならば、あまり増えません。つまり、金利が高いほど貯蓄が有利になり、貯蓄は増える傾向があります。逆にいえば、金利が低いほど、貯蓄は減る傾向があるわけです。

 次に、貯蓄と投資の関係について考えてみましょう。企業は、お金を借りて投資するわけですが、投資の目的は、すなわち、事業を通じて収益を上げることです。収益性の高い事業が望ましいことは言うまでもありませんが、いずれにせよ、企業は事業収益の中から、借りた資金の元本と利子を払わなければなりません。もし、金利が高いならば、支払うべき利子は多くなりますし、低ければ、少なくなります。つまり、金利が低いほど投資が有利になり、投資は増える傾向があります。以上のことから、貯蓄>投資を解消して、貯蓄=投資にするためには、金利を下げればよい、ということになります。

金融政策による対処、その2、インフレ目標

 しかし、一つ問題があります。金利をゼロ%より低くすることができないことです。もし、金利ゼロ%まで下げているのに、なおも貯蓄>投資であるならば、どうするのでしょうか。そのような状況に対処するためには、下げられない金利を「実質的に下げる」別の手を打つ必要があります。そこで目をつけるのが、物価上昇率(インフレ率)なわけです。

 インフレとは、財やサービスの価格が全体として上昇していくことを意味します。もし、買う必要のあるものがあるなら、できるだけ早く買うのが有利です。というわけで、金利が低いほど「消費が相対的に有利」になるのと同様に、インフレ率が高いほど「消費が相対的に有利」になります。

 また、インフレが進むと、投資して整備した生産設備が生み出す財やサービスの価格も上昇していくことになりますから、期待される収益もインフレ分だけ大きくなります。言い換えれば、借りた資金の元本が実質的に目減りしていくことになるわけです。そのため、インフレ率が高いほど「投資が相対的に有利」になります。もちろん、あまり激しいインフレでは別の弊害がありますが、数%程度の穏やかなインフレであれば、金利引下げと同様の効果だけを期待することができるわけです。

 さて、ここで一つ注意をしておきます。インフレが進むことは、金利を下げるのと同じ効果があると述べましたが、より正確には、インフレが「実際に」進む必要はありません。実際にはインフレでなくても、人々が「これからインフレが進むのだ」との将来予測をすれば、そのとき、「インフレが進むなら、買うものは早めに買った方がよいな」と考えるようになり、消費や投資が増えることになります。この将来予測をインフレ期待と呼びます。インフレではなく、インフレ期待を引き起こせば、目的を達することができるわけです。

 問題は、どのようにしてインフレ期待を抱かせるか、になります。そのためには、第一に、市中に流通している通貨量を増やし、インフレが実際に起こりうる環境を整えることが必要です。通貨量が増えても、それが使われずに貯めこまれれば、実際にはインフレは起きません。しかし、通貨量を増やし続けて、いつインフレが起こってもおかしくない、という状況を強めていけば、人々はインフレ期待を抱かざるをえません。併せて、第二に、「インフレ率○○%を目標に、通貨量を増やします」など、とにかくインフレが起こるまで通貨供給量を増やすのをやめないと中央銀行が宣言してしまうことも行われます。

 つまり、通貨量を増やし、インフレ目標を宣言する。これがインフレ期待を引き起こし、人々を消費支出や投資支出に押しやる効果を引き起こす。以上が、インフレ目標政策の骨子です。

 最後に、通貨量を増やす方法について説明しておきましょう。一番わかりやすいやり方を言えば、お金をどんどん刷って、なんでもいいから流通している品物をあれこれ買えばよいことになります。ケチャップでも自動車でも、なんでもよいです。なんでもよい、と言いつつ、国が通貨供給量をコントロールするために、特定業界や特定個人にのみ影響の大きな財やサービスを買いあさるのも問題がありますので、国債などの有価証券を購入するのが一般的です。これを公開市場操作、この場合は「買う」操作ですので、買いオペレーション、買いオペなどと呼ばれます

バーナンキ背理法

 では、本当にこんなことでインフレ期待を引き起こすことができるのでしょうか。そこで、バーナンキ背理法という論法が持ち出されます。wikipediaから引用します。

「もし、日銀が国債をいくら購入したとしてもインフレにはならない」と仮定する。すると、市中の国債や政府発行の新規発行国債をすべて日銀がすべて買い漁ったとしてもインフレが起きないことになる。そうなれば、政府は物価・金利の上昇を全く気にすることなく無限に国債発行を続けることが可能となり、財政支出をすべて国債発行でまかなうことができるようになる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは背理法により最初の仮定が間違っていたことになり、日銀が国債を購入し続ければいつかは必ずインフレを招来できるはずである。*1

 つまり、「インフレにならない」と仮定すると、お金を印刷して使うだけで政府の財源が賄えることになってしまいます。そんなうまい話があるわけないよね。だったら、どこかでインフレが生じるはずです。

 さて、以上が、リフレ派の基本認識だと思います。次に、これを批判的に検討していきます。