例のGDP云々の件

時系列で並べるとこんな感じ?TrackBack代わりにリストしてみる。


で、まあ稲葉さんも書いてる通り、mojimojiさんと山形さん、両者の間にはほとんど埋めがたい溝があるので、ここではただの感想を書くことにする。たぶん根本的に両者が理解し合えることはないだろうし、その必要もないだろうと僕は思う。

なお、ここを読んでくれている奇特な方のほとんどは既にご存知と思うけれども、僕は立ち位置としては山形さん寄りなんで、そういうバイアスがかかった感想であることを予め表明しておく。

【追記】なんだかいつの間にか終了したようなのでやる気が失せました(笑)。後半ぐだぐだですがお許し下さいませ。


結論から言うと3つある。ひとつ、mojimojiさんが言いたいポイントは、僕は理解できるような気がしている。

二つ、しかしながら、mojimojiさんがそれを実現させるために考えている(だろうと僕が読み取った)方針というかやり方は、僕には非現実的に思える。

三つ、でもだからと言って、じゃあどうしたら良いかというと、これと言う解が僕にあるわけではない。mojimojiさんや山形さんのような人が今後も長い時間をかけてお互い意見を(建設的に)交換し合って行くしかないんじゃないか、と思ってる。



ということで以下にこれら3つについて書いてみる。なお、mojimojiさんが言うところの「医療、介護、教育、生活保護等への政府支出が十分な社会」(「十分な」が何をもって十分とするかについては議論があってしかるべきだけどここでは触れない)を、面倒なので以降「福祉社会」と仮にしておく。



ひとつめ。僕の理解では、mojimojiさんが言いたいのは以下のようなことだろうと思っている。

  1. 「福祉社会」が実現している場合とそうでない場合の「生活の豊かさ」は、GDPでは計ることができない
  2. つまり、「生活の豊かさ」の指標としては、GDPは有効ではあることは認めるものの、完全無欠ではない
  3. 従って、経済成長を最優先する(つまりGDPを最大化する)経済政策が、常に望ましいものであるとは言えない
  4. むしろ、経済成長ではなく「福祉社会」の実現を最優先とするような経済政策の方が、「豊かな生活」を実現するために資すると考える
  5. 一方で、このような経済政策の優先順位を決めるには、「いかなる社会を作るのか」という価値判断において社会的な合意が形成される必要がある
  6. しかしながら、現在はそのような議論はなされておらず、代わりに、「まずは、全体のパイを増やすのが先決ですよ。それこそが、誰かに損をさせるのではなく、全員の状況がよくなるいいやり方なんです。(パレート改善!)」といった議論しか見られない。これはゴマカシだ
  7. 経済成長を重視するのであれば、「福祉社会」の実現を最優先した後、経済成長すればよい。順序の問題なのだ

もちろんこれは僕なりのまとめなので誤読があったらごめんなさい。mojimojiさんの主張は(ここでは一時的に歩み寄らないと話にならないので)幾分マイルドにしていることを了解いただけるとこれ幸い。

で、これらに対する僕の見解としては;

a. 1と2、5については完全に合意
b. 3と4については経済がおかれている状況によっては合意
c. 6についてはなんか誤解があるみたい
d. 7については全く同意できない

というところ。

で、aについてはたぶん誰も問題にしてないだろうからスルー、dについては本論の2つめなんで後ほど述べることにして、ここではbとcについて簡単に書く。

まずはbの、つまり3と4の、経済政策において最優先事項を成長におかずに「福祉社会」の実現におくべきである、という主張について。

僕が何故これに「経済がおかれている状況によっては合意」するかというと、ほっといても順調に成長を続けそうな経済状況においては、一時的に「福祉社会」の実現に最優先順位をおくことには全く異論がないから。

ただ残念ながら、経済というのは(昔と比べればその差は縮まったとはいえ)好不況を繰り返すものだ。不況期において(つまり全体のパイが縮んでいる状況において)「福祉社会」の実現を目指すことは、長期的には誰もが不幸になる選択だと僕は考えている。

要するに(mojimojiさんと同様に、ただし順番は逆だけど)順序の問題だと僕は思っているわけだ。これについてはdの(つまり7の)問題と密接に絡んでくるので、後に述べたい。

次にcの、つまり6の問題について。僕が何故ここに誤解があるようだと思ったかというと、ほとんどの人は「経済成長が最優先。他の問題はそれだけで解決する。以上」なんて主張はしてないと思うのだけど、もしかしたらmojimojiさんはそうした主張が主流であると考えているのではないかな、と思ったから。もしそうなら、これは誤解だと思う。

経済政策において最優先の課題は経済成長をなるべく持続させることである、と主張している人は、程度の差こそあれ、方向性として「福祉社会」を目指すことには誰も反対していないんじゃないかと僕は思う(もちろん、その「程度」が問題だという議論はあり得る。でもその「程度」が問題なんだったら、この問題は非常にありふれた、且つややこしい問題になるのでここではおいておく。理由は後述)。

方向性として「福祉社会」を目指すことに賛成しているのは、僕もそうだし、山形さんもたぶんそうだし(ちょっと自信ないけど(笑)。いや冗談です)、いわゆるリフレ派といわれてる人々でも同じだと僕は考えている。

じゃあなんで「経済成長が最優先」の後に「でもその後は福祉だよね」が素直に続かないかというと、「福祉社会」を実現するレベルやタイムスパンについて、つまり「程度」について、は人によって様々だし、今すぐには答えの出ない、ややこしい問題だからじゃないか、と思う。

例えば、いわゆるネットの「リフレ派」の中でも、id:BUNTENさんとid:Yasuyuki-Iidaさんとでは「福祉社会」という言葉の定義そのものがまず異なるだろう(お二人とも例にとってごめんなさい)。また、僕はかなり山形さんの言うことがしっくり来る方だと勝手に思ってるけど、でも「福祉社会」とか再分配の話については、細かく詰めていけば(いやもしかしたらそれ以前に)大喧嘩になるような気がする(いや喧嘩にもならないかも(泣))。

これは完全に余談だけれども、「リフレ派」が嫌いな人たちは、日本が名目で3〜4%の成長*1を順調に続けるように主張すれば良いんじゃないか。もしこれが実現すれば、「リフレ派」は「その後の政策」をめぐって勝手に分裂するに違いない。閑話休題

要するに経済政策において「経済成長が最優先」と主張している人たちは、一部例外はあるだろうけれども、そのほとんどは、文字通り「経済成長が最優先」と主張しているわけであって、「経済成長だけが唯一無二、究極の神聖にして犯すべからざる経済政策課題である」なんて主張はしていないと僕は考えている。

結局、ここでも問題になってくるのは、既に書いたbの、つまり3と4の問題と同様に、順序の問題なのだ。つまり、「福祉社会」の実現を目指すことには反対しない、でもその前に経済成長が必要なのだ、ということだ。

で、ここで述べた2つの論点は、dの、つまり7の、「経済成長を重視するのであれば、「福祉社会」の実現を最優先した後、経済成長すればよい。順序の問題なのだ」という主張の是非に絡んでくる問題となるわけだ。



ということで本論の二つ目。何故「福祉社会」の実現よりも経済成長を優先させるという順序が重要なのか、あるいはmojimojiさんが「福祉社会」を実現させるために考えている(だろうと僕が読み取った)方針というかやり方が、何故僕には非現実的に思えるか、について。

これには2つの理由がある。ひとつは、「福祉社会」の実現を最優先とすると現在よりも生産性が低下するだろう、その結果分配の基盤となるパイは縮小を余儀なくされるだろう、と僕は考えていること。

もうひとつは、「福祉社会」を実現するコストを賄う原資として、「たとえば」の話ではあっても、「富裕層」の「別になくても死にはしない何か」をあてにしているように読めること。

以下順にこれらについて述べる。

まず、「福祉社会」の実現を最優先とすると現在よりも生産性が低下するだろうと僕が考える理由は以下の3つだ。なお以下では「医療、介護、教育」を『「福祉社会」のコアとなる産業』とする。

  1. 『「福祉社会」のコアとなる産業』は労働集約的な産業であること。一般的に労働集約型産業よりも資本集約型産業の方が生産性が高い
  2. 『「福祉社会」のコアとなる産業』の顧客は主に政府であると想定されていること。政府が主要な顧客である産業は、一般的に競争が(他の産業と比較し)働かず大きな生産性の向上は望めない
  3. 『「福祉社会」のコアとなる産業』のサービスが消費されるのは日本国内のみであり、輸出可能でないこと。これも海外の同じ産業との競争が働かないため、輸出可能が財を生産する産業と比べ大きな生産性の向上は望めない

要するに、現在の日本のサービス業が非効率で生産性が低いと言われている、その主要な要素を、「医療、介護、教育」等の『「福祉社会」のコアとなる産業』は全てあわせ持っていることになる*2

そのような『「福祉社会」のコアとなる産業』領域への大規模なシフトが、現在の「さまざまな産業領域(たとえばゲーム機や携帯電話や自動車やその他諸々の財を生産する領域)」から起こった場合、仮にそれが漸進的な変化であったとしても、日本の産業全体で見た場合には、現在よりも生産性が低下するであろうことはほとんど議論の余地がないように僕には思える。

もちろん、mojimojiさんが本来主張したいと思っていただろう(と僕が理解している)ことは、「福祉社会」が実現している社会とそうでない社会においては、GDP(つまり国内総生産)や生産性の高低は直接の比較の指標にならない、ということなんで、ここで生産性を云々するのはナンセンスなのかも知れない。

しかしながら、全体のパイが縮小していく社会においても実現可能な「福祉社会」というものは、僕には全く想像がつかない。皆が平等に徐々に貧しくなることも幸福の一形態だとは僕は考えることができない。

そしてこのことは、次に述べる、「福祉社会」を実現するコストを誰が主に負担するか、という話とあわせて考えると、より一層深刻な問題となるように僕には思える。

ということでmojimojiさんの考えていることが非現実的だと思う理由の2つ目。mojimojiさんは、「福祉社会」を実現するコストを、主に「富裕層」に負担させることを考えているように僕には読める。具体的には、例えば次のような記述だ。

たとえば、こういう社会的な変化が引き起こされると、富裕層はあまりうれしくないでしょう。それはまぁ、そうです。自分たちの取り分を減らして、その他の人々の取り分を増やしましょう、というわけですから、丸損です。ですから、反対するでしょう。この反対を、より正確に言うとこうなります。「別になくても死にはしない何かではあっても、自分の取り分が減るのはイヤなんです。だから、あなたはそれがなければ大変困るかもしれませんけど、医療とか介護とか、そういうものは我慢してください」。

 このように主張することは自由です。しかし、私たちは、なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢と、それがなければクリティカルに生存に影響するような種々の基本的ニーズを比較した上で、どちらを優先するべきかということを選べばいいわけです。さあ、みんなで考えようっ!(で、「クリティカルな医療や介護が後回し」ってことになるなら、仕方ない、みんなで立ち上がろうっ!という話になるんでしょうね。)

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080901/p1

これは僕には本当に恐ろしい主張に思える。恐ろしい主張であることにmojimojiさんが無自覚であるように思えることがより一層恐怖を煽る。山形さんがポルポトを例に出したのも良くわかる。これには4つの理由がある。以下その理由をmojimojiさんに対する疑問の形で述べる。

まず第一に、この記述は、「富裕層」とは誰なのか、その特定について、(「富裕層」本人ですら異論がないような)明確な基準が存在することを前提としているように読める。しかしそのような基準は本当に存在するのだろうか。

第ニに、「別になくても死にはしない何か」、「なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢」を判断する基準はなんだろうか。mojimojiさんは、「別になくても死にはしない何か」は誰も保有する必要がないと主張するのだろうか。本人以外に「贅沢」を規定できるような社会とはどんな社会なのだろうか。

第三に、上記2点に係る問題として、これらの基準を判断する主体として、mojimojiさんは誰を想定しているのだろうか。政府、つまり政治家や官僚だろうか。mojimojiさんはそんなに政府を信頼しているのだろうか。それとも、日本は民主主義社会だから国民が判断するのだろうか。それは一体どういう社会なのか。

最後に、これらのこと、つまり「富裕層」や「贅沢」が政府や国民によって決定される社会において、全体のパイが縮小していくとき(経済成長を最優先としないのであればこうした状況は、一時的にせよ、不可避であろう)に何が起こると考えられるだろうか。皆で痛みに耐えるのだろうか。そのような社会が長期的に維持できたとして、それは本当に「福祉社会」なのだろうか。

ここで述べたようなことが詭弁、牽強付会、机上の空論、論点のすり替えにしか読めない人は、例の鳥味のホロコーストの議論を思い出して欲しい。といっても僕はこれに関しては全く興味がなかったので誰が何を主張していたのかさっぱりわからないのだけれど、次のようなことを誰か(たぶんid:kmiuraだと思う)が言っていたことは記憶に残っている。

つまり「自分の身にそれが降りかかることを想定しないでなされる主張は恐ろしいことであるよなあ(詠嘆)」ということだ。

現代の日本においては、余程極端な者を除き「労働者」イコール「資本家」であり(銀行にいくらかの預金があれば立派な「資本家」だ)、「富裕層」と「それ以外」の境界はほとんどの場合において相対的なものでしかない。「富裕層」や「贅沢」をしているものが常に自分以外の者であるとの想定に基づいているように読める議論はあまりにナイーブであると思う。

以上、要するに「富裕層」に重い税を課せば「福祉社会」が実現できるだろう、だから経済成長は最優先でなくても良い、という見解は、僕には全く非現実的、且ついつか来た道(且つかつて存在した、または現に世界に存在している不幸な社会への道)にしか見えない。

もしかしたら「福祉社会」の実現を最優先として経済成長は二の次としても、持続的な良い社会が築けるかもしれない。でも、かつて多くの社会が目指して失敗したのと同じ方法をとるのであれば、失敗は最初から約束されているように僕には思えてならない。



ということで本論の3点目、じゃあどうすんの、という話だけど、もういい加減長くなったし、ご本人たちは終了しちゃったみたいなんで僕も適当に。

結論だけ書くとこんな感じ。

  • 僕としてはまず経済成長、次に福祉社会を含めた諸々の政策、という順序以外考えられない
  • でも何を経済政策の最優先事項とするかは信念の問題なんでたぶんお互い説得は無理だろうなあ
  • とは言ってもこうした論争が起こることは無意味とは思えない。建設的に行われれば信念が変わる人が出てくるかもしれない
  • そもそもこうした論争がなければ、いかなる社会を作るのか」について、社会的な合意を形成することは不可能だろう
  • それになにより、経済成長を最優先事項とする僕にしても、mojimojiさんのような、福祉社会の実現を強く主張する人々に負っているものが多くあることを忘れてはいかんと思う
  • ということで、mojimojiさんにも、まずは経済成長、という順序について理解してもらったら嬉しいなあ(以下2番目に戻る)

ああぐだぐだ書いていたら最後もぐだぐだだ。もう眠いので寝ます。では皆さんごきげんよう

*1:これは別に特別でもなんでもなく、最近までのOECD諸国の平均と同じかやや下回るくらいだろう

*2:日本のサービス業が生産性が低いのは事実かもしれないが、それが日本経済の停滞の主要な原因であるとする説には僕は与しないことを蛇足かも知らんが記しておく