森永卓郎『労働経済白書』論

 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/147/index3.html

 :一方、『労働経済白書』では、いままでやってきた弱肉強食の経営は失敗であり、もう一度終身雇用、年功序列に戻して、安定した日本の経済を取り戻すべきとした。

 明らかに閣内不統一ではあるが、わたしは『労働経済白書』のほうが正しいと考える。そして、『労働経済白書』の記述が、ある意味でパラダイム転換の象徴なのではないかと思うのだ。

 かつての日本経済に構造的な問題があると言われたのは、バブル崩壊後のことである。従来の日本のシステムでは駄目ということで、延々と30年近く変化を求めてきたのだ。今度は、米国が経済構造の見直しに入る番ではないか。

 もちろん、30年間にわたる日本の変化がまったく無意味だったと言うつもりはない。かつての終身雇用、年功序列に問題があったことは確かである。だが、現在は、あまりにも新自由主義的な弱肉強食が行き過ぎているのではないか。:

 僕も基本的に賛成ですね。まあ、こんなこと書くと既得権の代表のようにみなされてしまいますが 笑。もう版元での在庫に限りがある『日本型サラリーマンは復活する』にも書いたことですが、この十数年の停滞はこの種の日本システムに原因はありません(システムに何の問題もないといっているのではなく、停滞に関係する問題はない、という意味です)。しかも終身雇用はただの景気がよければまぐれで続いた長期雇用が実体であり、年功序列制もよくみるとその中味はかなりな弱肉強食型の選別システムです。

 統計などをみると、多くの人が安定的な仕事の確保を求めています。その反面、成果主義的な側面(競争的な側面)も欲しているようです。

 この両者は現状の日本型システムでも十分実効可能でしょう。またその向かうべき方向として例えば以下のエントリーで書いたものも参考になるのではないでしょうか?

 アメリカとは違う経済モデルは可能か
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070801#p1

 小宮隆太郎の60年代後半スウェーデン経済論
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070127#p2

 以上のような見解に対立するのが、竹中平蔵氏や彼も支持する以下の「新前川レポート」に体現された考えでしょう。
 
 いわゆる「新前川レポート」的なるものを読む
 http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080703#p1

バーナンキ原文

 小島さんの直近のエントリー、正直僕には彼が何を書きたいのか皆目わかりません。何か非常に難しいことを考えておられるようでなんともご苦労なことです。

 例えば、僕はkoiti yanoさんの以下の発言でもう尽きてると思います。それで納得できない人は永遠にできないと思います。あとは俗事はまかせる!と書いているように人類は時間を含む資源が有限ですってことに注意を促すぐらいですかね?

http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20080824/p2
:平成20年度末の日本政府の公債累積残高というのは約550兆円程度になる見込みです(パンフレット「日本の財政を考える 平成20年6月」による)。

質問:「もし、日本銀行が公債を550兆円買い切ったとしたら、その時には『何が起こる』と小島先生は考えておられるのか?」

言うまでもないことですが、基本的には日銀が公債を市場から購入すると日本円が発行されます(日本銀行の金融市場調節手段にはどのようなものがありますか? (「教えて!にちぎん」による))。

とはいえ、リクエスト?もあるので件のバーナンキの原文(英語)を提供。しかしこれぐらい検索すればすぐわかるのに。モデルつくるのに時間をすごくかけてるのに、こんな簡単なことをやらないということが、まあ、まさに小島さんの物事の捉え方を表しているような気もします。

The general argument that the monetary authorities can increase aggregate demand and prices, even if the nominal interest rate is zero, is as follows: Money, unlike other forms of government debt, pays zero interest and has infinite maturity. The monetary authorities can issue as much money as they like. Hence, if the price level were truly independent of money issuance, then the monetary authorities could use the money they create to acquire indefinite quantities of goods and assets. This is manifestly impossible in equilibrium. Therefore money issuance must ultimately raise the price level, even if nominal interest rates are bounded at zero. This is an elementary argument, but, as we will see, it is quite corrosive of claims of monetary impotence

派遣労働者関連メモ(『不謹慎な経済学』元原稿抜粋)

 いや〜はてブみてよかった。すげえ、初歩的なことミスって堂々書いてた。汗。メモ程度ですって控えめに書いておいてよかったねw*1

 というわけで冷や汗をひとかきかいて労働をしたので、ここであとのエントリーに関係するので、『不謹慎な経済学』から派遣労働に関する文章を以下にコピペ。

 :例えばエコノミスト門倉貴史森永卓郎らが、派遣労働者法が労働者の働く選択の自由を拡大するどころか、生き方の制約になってしまっていると指摘していることに通じるものがある。
 門倉貴史『派遣のリアル』(2007年、宝島社新書) では、現行の派遣労働者法が生み出したともいえる派遣事業の規制緩和の弊害について厳しい指摘を行っている。門倉の批判は、(1)労働者は商品ではない、商品として扱われると著しく経済的立場が不利、という事実がまずあること。(2)「偽装請負」「二重派遣」などの企業の「搾取」といった利権が広汎に観察されていること。(3)労働者の大多数が正社員を強く望み、派遣社員の地位そのものが生活不安定化に貢献していて社会的に好ましくない、という社会的合意があること。以上から派遣労働者の交渉力が弱いために、彼らの賃金が生存可能ぎりぎりまできり下がるという一種の「市場の失敗」が論点になっている。
派遣労働者法の改正による規制緩和が、中長期的に非正規労働者を激増させ、なおかつそれが経済格差の拡大という形で、社会の不安定を生み出すならば、やがて社会的コストを国民が分担しなくてはならないだろう、というのが門倉の議論である。
このような派遣事業に関わる利権の存在が、深刻な市場の失敗基づくときは、再規制することで中長期的な経済格差の拡大を防ぐのが有効である。もちろん短期的には非正規雇用の職が規制強化で失われ、雇用コストの増加でグローバル化に適応できなくなるという反論が予想される。しかし(2)の広汎な存在があるならば、労働者保護の観点が優先されるべきである。正社員の労働市場を改革して雇用の流動化を促す、という発想もこの場合ではお門違いである。なぜなら派遣労働者の交渉力の劣位が「市場の失敗」の原因だからである。
派遣事業の利権問題については、あまりに対応策を効率中心主義に解釈している、というのがムーアや門倉らに通じる問題意識である。問題はむしろ古典的な効率と公平(社会的なモラル)とのトレードオフである。このふたつの経済・社会的価値をどのようにバランスをとるのか、これが今日の日本の“改革”が求められる視座であろう。:

*1:あとでこういうの書いちゃうとストーカーみたいな人からメールがきて「経済学者をよく批判できますね、思想史家が プゲラ」と書かれちゃうからなあ 笑。あ、そのストーカーみたいな人(いままで何十回も嫌がらせのコメントやメールをほぼ同一人物からいただきました)、近いうちに警察に届け出る予定ですのでここで告知。それでどうにかなるかわからないけれども保険として活用するべきだと決断しました。ちょうど免許の更新が近いので警察署に行くからそれに連動して行けば機会費用の点からもいいかなあ、と思う。しかし、こういうのコメント欄開いとけば一発で、「田中、何バカなことを書いてるんだ!」と怒りの投書が炸裂するはずなんだろけれども……コメント欄開けとくと、まあ、それはそれで上に書いたような面倒なことにつながるから