原油価格下落でひと息の不安

 自分のメモ代わりとして(初歩的な間違い書いてたので訂正。いまさらだがボケたかw 間違えヴァージョンははてブで記録されてるから 笑いの種に見ておいて)。

 昨日・今日のニュースを見ますとガソリン価格の値下げが各社ともに採用することになりそうです。もちろん石油関連商品の価格が低下することは、日本の消費者物価指数(CPIの方)を下げ、また景気の減速に歯止めをかけることに繋がるニュースではあるでしょう。

 今回、7月以降の石油価格低落の原因については、MURCの原油レポートの分析が一般的なものでしょう(このMURCのレポートは非常にいいです)。要するに日本・欧州・米国・中国などの景気後退局面ないしその予想見込みをうけての需要減少が石油価格の低落を招いているという評価です。これはJames Hamilton教授の分析とも同じです。

 教科書的には短期の石油の需要・供給曲線は非弾力的なものです。したがって需要の減少による価格の低下は(長期のケースに比べると)大きなもの<なります。原油価格はここ一月の間に20%以上の下落をしていてこの下げ幅は非常に顕著です。投機的要因よりも石油の需給バランスの問題として考えるのが適確ということになります

 さて投機関係はとりあえず置いて、ハミルトン教授が示唆しているように、今回の石油価格低落が、アメリカのインフレ懸念を緩和するのは好ましいのですが、他方でそれが日本・欧州の景気低迷による石油需要の減少、そしてドル高の進行が原因であるため、アメリカの輸出産業にダメージが襲い、さらなる景気低迷が懸念される、というのが彼の見解です。そしてこれを日本のケースにひきつければ、日本にもこのアメリカの再景気悪化がさらなる悪材料になる懸念が起きるでしょう。

 ハミルトン教授の参照したこの図では、日本の景気後退が他国に比べて抜き出て高いのですが、先日のエントリーで指摘したように、わざわざ日本経済が安定的に回復する前の段階で、量的緩和解除などを行った日本銀行とそれを黙認した当時の政府の責任は重いといわざるをえないでしょう。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義

http://blog.goo.ne.jp/reflation2008/e/613f7854fe7aa43d25fd756e2c668a7e

むこうは先にも書きましたが、まったりした映画やマンガそしてサブカルネタの日記です。上記エントリーは特に日本における95年のもった意味を読んでいただければ幸いです。

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力

「徹底した金融緩和下においてなおデフレ基調であり、かつ、にもかかわらず景気が回復するという新たな経済現象を説明することを、社会的に要請されている」

 上記のエントリー題を少し考えてみました(上記大瀧雅之先生から頂戴した論題です)。

 まず後付けではなく、それこそリアルタイムにリフレ派(デフレ不況を脱却するために低インフレ政策を要求する人たち)は一貫して、現状を90年代から今日まで

「徹底した金融緩和」ではなく、「不徹底な金融緩和」として認識しています。

 特に90年代から03年までは事実上の金融引締め(実質利子率が高止まりという意味)で考えていました。これは拙著であれば野口旭さんとの共著『構造改革論の誤解』(2001年)を読まれればこれが跡付けでもなんでもなく当時からいままでに至る認識だとわかるでしょう。さらにリフレ派自体は僕などよりも日米経済学者・エコノミストともに20世紀の末から同様の意見を提起してきたことです。「徹底した金融緩和」という条件が満たされたためしがない、とリフレ派はほぼ共通して思っているでしょう。そのためエントリー題名にある「徹底した金融緩和下」という前提条件が議論の共通土俵となっていないため、以下の部分を議論するのは意味がないか、論者同士の混乱を招くだけかと思います。

 とりあえずいま議論すべき前提条件が違うと断りましたので、その上で論題を「不徹底な金融緩和下においてなおデフレ基調であり、かつ、にもかかわらず景気が回復するという新たな経済現象を説明することを、社会的に要請されている」に変更してみましょう。

 さてこの「不徹底な金融緩和」のもとでも、だいぶ事態は好転してきました。デフレ基調ではあるものの(金融緩和が不徹底なので)、にもかかわらず景気が回復(不徹底だが金融緩和の効果があった)と僕も理解しています。もちろん去年から今日にかけて事態は暗さを帯びてますがそれでも20世紀末から02年ごろにかけてよりは比べ物にならないほどましです。

 ここらへんの話を以下に『経済政策を歴史に学ぶ』(2006年8月28日刊行、ただし手元にあるファイルからなので正式版は書籍を確認ください)から引用しておきます。

: 野口氏はさらに、今日の景気回復がなぜ生じたのかという問題も簡潔に整理している。今日の景気回復は、財務省の円安介入と、それと連動した日銀の当座預金残高の引き上げという量的緩和政策がたまたま重なったことが契機となっている。この事態を野口氏は「なし崩しのレジーム転換」という表現を使っている。「レジーム」とは政策のルールの束を意味することばであり、ここでの「レジーム転換」とはデフレ的な経済政策のスタンスからインフレ的な経済政策のスタンスの転換を指している。これは私流に表現すれば、あくまで財務省主導のデフレ対策としての円安介入であり、それを福井総裁が意図せざる形でサポートした量的緩和政策のあり方を表現している。実際に福井総裁は明確に財務省の円安介入をサポートしたことを否定している。野口氏は中国からの特需効果や米国から日本への株式投資が盛んになったことなどもこの「なし崩しのレジーム転換」の中で評価している。
 「以上から、日本経済の二〇〇二〜〇三年以降の契機回復の様相については、ほぼ次のように整理することができる。まず、その最大の牽引車は、外需の拡大であり、それをもたらした世界的な景気拡大であった。しかしながら、国内のマクロ経済政策がリフレ的な方向へなし崩し的に転換されていたということも、同様に重要な意味を持った。それは具体的には、二〇〇三年秋から〇四年初頭まで行われた、財務省の巨額為替介入と日銀の金融緩和の同時遂行という形でのマクロ的政策協調である。つまり、今回の日本の景気回復と国内のマクロ経済政策の両方に支えられて、かろうじて定着したのである」(『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』20頁)。
 この野口氏の発言には、よく各種のメディアで見聞する、「構造改革が景気回復に寄与した」のではなく、総需要不足の改善が外需の好転と「なし崩しのレジーム転換」によってもたらされたという正しい指摘が行われている。
 また現状の景気回復は不安定であり、より一層のリフレ政策の重要性を野口氏は強調している。そのため06年末頃まではデフレ脱却をめざすリフレ過程(少なくとも現状の財政・金融政策のスタンスの維持)が必要とされる。さらに第二段階は金融政策正常化のための段階であり、量的緩和の解除、インフレ目標の導入、プラスの政策金利への復帰などが目指される。これはほぼ2007年半ば頃であり、財政再建はその後の第三段階となる。野口氏は現時点での量的緩和解除はリスクがありすぎて日銀は採用しないだろうとみている。だが日銀が06年3月に量的緩和を解除したことで、この野口氏の楽観的な見通しは外れてしまった。もちろんそれは野口氏の誤りではなく、通常では考えられないほどのリスクをあえて選択した日本銀行の誤りなのである。この日本銀行発のリスクについては章を改めて後に議論したい。:

 この「なし崩しのレジーム転換」こそさきほどの「不徹底な金融緩和」=デフレと景気回復の共存=不十分なデフレからの脱却、不十分な景気回復=日本銀行発のリスク という見立てです。

 もちろんこの「通常では考えられないほどのリスクをあえて選択した日本銀行の誤りなのである」は昨年の夏以降顕在化し、いま本格化しようとしています。

 ところで「なし崩しのレジーム転換」が、不十分なデフレからの脱却ではあるものの、不十分な景気の回復をもたらしていることは、以下の各種指標でも判断できることでしょう。

 例えば、GDPギャップ、GDPデフレーター消費者物価指数完全失業率、期待インフレ率などの各指標は軒並みこの「なし崩しのレジーム転換」以後、改善しています。そして同時に改善傾向にあってもまだデフレなのは、金融緩和が不十分であるからに過ぎません(ちなみにこの不十分性は後出しジャンケンではなく同時的にさまざまな人が発言しています)。

 しかし逆に技術的な要因がこの長期停滞をもたらしたとして、それがこの03年以降どのように解消されたのでしょう? それがどのようにしてデフレと景気回復というシナリオをもたらしたのでしょうか? 逆に僕はそんな疑問を抱いています。