竹中平蔵『闘う経済学』

 政策に役立つ経済学というのは、実際に政権に入り「構造改革」を担ってきた人物の発言だけに非常に説得力がある。本書の書き方も非常に目配りがよく説得的なレトリックを用いて書かれている。

 そして内容を読むと相変わらず僕には見逃し難い間違いが、特に前半部分を中心に存在している。いわゆる「上げ潮派」という存在は、高橋洋一氏によれば日本に三人(高橋、中川秀直、竹中各氏)であるそうだが、なるほど本書を読むと「上げ潮派」もなかなか興味深い分枝構造をもっているようである。

「第1章ケインズ的常識と闘う」

 「むしろ、財政拡大は財政赤字を累積させるだけだった。そのような政策運営によって、一九九〇年代の日本経済は、「失われた10年」と呼ばれる状況をつくり出してしまった」(39頁)。

 竹中氏によれば失われた10年の真因は、「バランスシート調整」がうまくいかなかったこと、分かりやすくいえば不良債権問題という「構造問題」(サプライサイド問題)が長期停滞をもたらした。財政政策はそのバランスシート調整問題を解決するどころか、問題解決を先送りして、財政赤字を累積させただけ、という発想であろう。

 財政政策自体に長期停滞を解決するほどの効果がなかったのは同意するが、しかし他方で本書を通して竹中氏は日本銀行の政策について事実上ほとんど触れていない。90年代の事実上の金融引締め状況こそ長期停滞やバランスシート調整問題や財政政策の効果の減殺(それによる財政赤字の急増)をもたらしたのではないだろうか?

 「第3章「金融危機」と闘う」では、このバランスシート調整問題が、デットオーバハングを日本経済ももたらしたことで長期停滞になったということが書かれている。そして不良債権の存在によって、信用乗数の効果が落ち、それが従来の金融政策の効果も大きく減殺した。それゆえに不良債権の処理を竹中氏が行ったような「金融再生プログラム」で行ったことが日本経済の復活に貢献したのだ、ということが大まか書かれている。

 ところでこの竹中氏のデットオーバハング説については、田中『経済論戦の読み方』で次のように書いた。

: ところで不良債権の存在がマクロ経済に影響を与えるルートとして具体的にどのようなケースが考えられるだろうか。代表的な事例としてしばしば言及されているのは「デッド・オーバーハング効果、「貸し渋り」といった現象である。デッド・オーバーハング効果というのは、不良債権問題を主に企業側(債務者側)からみた視点であり、他方で「貸し渋り」は主に銀行側(債権者側)からみた考え方といえる。デッド・オーバーハングとは、過剰な債務をもつ企業に対する新規融資が抑制される現象である。このとき企業の前に利益をもたらすチャンスがあっても、融資をうけられないためにこの利益機会を失ってしまう。融資の減少は、投資を低下させ、現実のGDPをも低下させるだろう。(池尾和人『現代の金融問題』)だがこのデッド・オーバーハング説には無視できない特徴がある。つまり過剰な債務をもつ企業にのみ新たなビジネスチャンスが到来するという考え方である。これはいわば、借金で首が回らなくなった企業にだけなぜか好運が訪れているというパラドクスにも似た状況である。日本で不良政権問題に直面しているいわゆる不況三業種(不動産、建設、流通)に新たなビジネスチャンスが数多く存在するとは考えがたい。:

 なお、不良債権の存在で信用乗数の低下が起きたのかどうかでは、浜田・飯田・原田の実証論文が存在し、それを中心にして確か小林慶一郎氏との論争があったが、そこでも金融政策の重要性は支持されたと記憶している。最近では、このデットオーバーハング的な状況と伸縮的なインフレターゲットなどの金融政策の効果をめぐって、Curdia and Woodfordの論文などが出てきている(Blanchardのコメントも重要)。

 「第二章「増税論」と闘う」は興味深い。かって与謝野馨氏と竹中氏が名目成長率論争を行ったことは記憶に残っているだろう。このときの竹中氏の立場は本書によれば次の一文の象徴される。

プライマリーバランスを回復させれば、名目経済成長率が金利に等しいか、もしくは高くなれば、財政赤字GDP比率の発散を防ぐことができる」(72頁、本文はゴチック体)。

 しかし竹中氏がこの命題を出すために用いたドーマー条件によれば、

 財政赤字GDP比率は、

 名目経済成長率>金利 →有限値に収束

 名目経済成長率<金利 →無限に発散

であり、竹中氏の財政再建(=構造改革)のアルファでありオメガでもあるプライマリーバランスの黒字は、この収束・発散の議論に関係ない*1。詳しい解説は岩田規久男飯田泰之『ゼミナール経済政策入門』の341-342頁をご覧下さい。竹中氏のドーマー条件の説明は途中で議論を端折っているのに等しいでしょう。以下にドーマー条件とプライマリー・バランスについての岩田・飯田本からの引用を書いておきます(同様のことは拙著『経済論戦の読み方』にもあります)。

「なお、「ドーマーの条件」をめぐる議論は初期時点での公債残高、プライマリー・バランスの黒字・赤字とは関係しません。「ドーマー条件」さえ満されていれば、公債残高の名目GDP比は、プライマリー・バランスが黒字
の場合は近い将来低い水準で、プライマリー・バランスが赤字の場合には遠い将来に高水準で、収束します。一方、名目成長率が利子率を下回り「ドーマー条件」が満たされない場合には、プライマリー・バランスが黒字であっても公債残高の名目GDP比は発散します」

 というわけで、竹中氏のように、「プライマリーバランスを回復させれば」というプライマリー・バランス回復中心主義は、彼が利用しているドーマー条件からまったく正しくありません。このような誤ったプライマリーバランス論に基づいて、彼はとりあえずは与謝野路線よりは数段まともな成長率路線を唱えたのはなんと評価すべきか、言葉を失います。

 本書では竹中氏の成長率路線を担うのは、郵政民営化などの民営化・規制緩和政策のように思えたのですが、実際には僕には理解があまりできない一種の「産業政策」的なものがあります(第4章参照)。その点は後回しにして、財政再建構造改革のひとつの重要な柱であり、それがプライマリーバランスの回復という視点から行われるために、勢い彼の議論は財政規模をいかに成長率に悪影響を与えない程度に抑えつつ、プライマリーバランスの回復を測るか、という一種の最適?財政再建論になっていきます。もちろんこの文脈では、プライマリーバランスの回復が大前提ですので、とりあえず名目経済成長率を高める政策(金融政策など)の出番はないです。

「財政を再建するときは、必ず経済にマイナスのプレッシャーがかかる。日本の潜在成長率は1.7%から2%と考えられるので、1%のマイナス圧力になると厳しい。景気循環の局面によっては、マイナス成長に陥るかもしれないので、1%以上のプレッシャーをかけることは避けたいと考えた。しかし0.5%だったら耐えられるだろうし、財政再建のためには耐えなければならない。GDP比0.5%から0.6%の押し下げはやむをえない」

 この「耐える」路線は少なくとも財政の維持可能性にとっては大きな問題ではない、というのがドーマー条件の重要な点でした。したがって財政再建というのは日本ではデフレを脱却して名目経済成長率を安定的な経路にのせることを目指すべきでした。しかし竹中氏の「上げ潮」路線はそのようなリフレ的な発想とは異なるようです。

 さて竹中氏は「第4章 失業と闘う」の中で、独自の産業政策論を展開しています(彼は一応、他の政策との整合性にも考慮すべきだと注釈はつけています)。その中味は、産業を発展させるには、「1 金利をできるだけ低く保つ 2 投資税額控除を大きくする 3 税率を低く抑える 4 所得弾性値の高い産業に特化する」ということです。

 1の「金利をできるだけ低く保つ」は政策目的にすべきではない。そのような金利を誘導的に低水準にすることは過大な投資を生み出すなど資源の誤配分を生み出すだろう。そもそも長期金利を思いのままに政府がコントロールできるわけもない。竹中氏が本書でここ最近の他国の低金利状況を指摘しているが、それが実現したのは多数説では、各国(日本を抜かす)の金融政策の成功、あるいはグローバル貯蓄過剰の存在であり、政策的な低金利の誘導の成果ではありえない。

以下続く(上記の4が個人的に奇妙に思えるのでこれを近々別エントリー書いて詳述予定)

*1:ただし岩田・飯田『ゼミナール経済政策入門』にあるように、プライマリーバランスが大幅黒字であるときに、公債残高がマイナス∞になるケース=政府資産が∞になるという現実的にはまつたくありえない可能性はある。しかしこれを竹中氏がいいたいとは考えられない

伊藤隆敏「原油・食料の高騰と経済対策」

 今日発売の『週刊東洋経済』の「経済を見る眼」。正直、よくわからない発言が冒頭にある。基本的な認識は、ここ一両日に紹介した上野、田中岡田論説と変わらない。その一方で、「では、経済政策としてなにをなすべきか。財政・金融政策で景気刺激を試みればインフレ率は確実に上昇する。一方、供給制約があるので生産量が増大するかわからない」とある。だが、日本はいま供給制約に直面しているのだろうか?

 他方で、「逆にインフレ率の上昇を阻止すべく金融引締めを行えば確実に投資や住宅需要を減退させ、さらに景気は悪くなる」とある。もしそうだとするならば、「さらに」景気が悪いというならば、現状も景気が悪い=供給制約に直面していない、と考えるほうが正しいのではなだろうか?

 この伊藤先生の論説では、不適切な政策がいくつか列挙されている。

1 賃金や年金に物価上昇分を転嫁すること

2 規制や価格連動型補助金

3 資材価格を理由にした公共事業費の拡大

 これについて、1は僕には微妙に思える。いまの現状が第一次石油ショックと同じ状況かといえば、明らかにノーだろう。第一次石油ショックの前に、経済は過熱状況であったし、さらに春闘などでの賃上げも急激であった。しかしいまの日本ではむしろ「懐が淋しい」ことが、先の岡田論説や、以前に紹介した若田部論説でも問題なのではないだろうか? なお、http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/qe082/rnen.pdfをみれば、若田部論説が書かれた時期よりもさらに懐が淋しくなっているわけだが……。

 2と3については異論はない。

 後段の中長期的に望ましい政策については、まあ、皆さんに読んでいただくことで略したい。