小島寛之先生やっちゃったゼ! 問題まとめ

http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20080822

小島寛之先生は確率・統計方面では著名でよい本を出されている優れた方だと思うのですが、今回の件はいただけません(逆にそれだけに罪深い)。

小島先生の主張に対する現時点でのまとめ(昨日書いた内容と一部異なっている点もありますがそれは考え直した結果です、間違っているなら指摘ください)

小島氏:背理法の誤謬 => 「存在証明」というのは、少なくとも数学的には、めっちゃ大事

解答:別に背理法の話ではなく、AならばBという命題においてAが偽の場合、Bの真偽に関わらず命題が真になってしまうという誰でも知っている話を迂遠に書いているだけ。実存的な存在証明が大事なのではなく、仮説に含まれる命題に偽のものが含まれていないことを確かめることが重要。

小島氏:バーナンキ背理法への直接の批判ではないが間違っているとする根拠になっている

解答:バーナンキ背理法を論理式で書くと「中央銀行国債をいくらでも購入し続ける」ならば「インフレになる」。小島氏のやり方をそのまま適用するならば、「中央銀行国債をいくらでも購入し続ける」が偽であればよい。小島氏は無税国家の存在証明が必要だと考えているようだが、そんなことは関係ない(「私は人間である」かつ「人間は死ぬ」ならば「私は死ぬ」という命題において私の存在証明が必要だろうか?)。仮定に含まれる命題が偽か否かだけが問題。

中央銀行国債をいくらでも購入し続けることが可能か否かは、変動相場制を取る日本においては自明。このとき現実的には日銀はやらないとか、国が国債を売らない可能性がある、などは考慮する必要はなく、可能であることを示せればよい。

次に「中央銀行国債をいくらでも購入し続ける」ならば「無税国家が実現する」がそんなことはありえないので矛盾であるという部分に関し「無税国家が実現できない」という点が偽である可能性があるという主張がある。おまえら常考! と、思わなくもないがここでは置いて論を進める。

中央銀行国債をいくらでも購入し続ける」ならば「財・サービスを買い続けることができる(=無税国家の実現)」。「財・サービスを買い続けることができる」ならば「過去・未来に渡るすべての財・サービスを買い尽くしたとしてもなお、貨幣価値が存在する」ことになる。貨幣の価値は交換価値であるのでこれは矛盾である。

結論として、やはりバーナンキ背理法はやはり正しいということになる。

と、いうよりもですね。バーナンキ背理法が間違ってるとしたら、デノミしたって貨幣価値変わらないってことだぞ。数学以前の問題として非常識すぎる。

[追記] 小島先生に学者としての良心があるなら、バーナンキ背理法を持ち出したことに対しては撤回された方がよいと思うが、いかがだろうか。

[さらに追記] 次エントリが掲載されたということは、批判はスルーするみたいですね。やれやれ、日本崩壊の歴史がまた一ページ。

[さらに追記] 釈明エントリが投下されたが、小島先生が何を言いたいのか本当に理解できなくなりました。前述の通り、背理法の証明に必要な前提条件は仮定の命題が真である場合が存在することです。なぜ「中央銀行国債をいくらでも購入し続ける」ことに均衡動学経路の証明が必要なのでしょうか。何度読んでも小島先生の直感以外の説明が何もないように思われるのですが……