「『カイゼン』は業務,残業代全額支払い」という記事が,2008年5月22日付の新聞各紙に掲載された。「トヨタ自動車は21日,生産現場の従業員が勤務時間外にグループで取り組む『カイゼン』活動について,残業代を全額支払うことを決めた。月2時間までとする残業代の上限を撤廃する。『自主的な活動』としてきたカイゼン活動を『業務』と認定する」(朝日新聞2008年5月22日付)。

 トヨタ以外にも,大手企業は従業員のQC活動を勤務時間内に取り組むように徹底したり,(上司の許可を得れば)残業代を支払ったりする方向にある(日本経済新聞2008年5月23日付)。この背景には,昨年12月に『愛知県豊田市の堤工場の元従業員の男性(当時30)が急死したのは過労だったと認める名古屋地裁判決が確定。判決はQC活動の時間も「使用者の支配下における業務」と指摘。トヨタは対応を迫られていた』(朝日新聞2008年5月22日付)ことがある。

 さらに,最近にわかに話題となっている「名ばかり管理職」の問題も背景にあろう。

 日本マクドナルドの店長(46才)が,権限もないのに管理職扱いをされて残業代が支払われていないのは不当だとして,2年分の残業代支払いを要求した訴訟で,東京地裁は2008年1月18日,会社に残業代などの支払いを命じた。この判決を受けて,セブン-イレブン・ジャパンは3月から管理職扱いの店長に残業代を支払っている。同じコンビニエンスストアの「SHOP99」では,元店長(28才)が「名ばかり管理職」扱いを受けていたとして5月9日,東京地裁八王子支部に提訴しているという。

 問題は医療業界にも波及している。滋賀県守山市の県立成人病センターは,大津労働基準監督署から管理職の医師に時間外賃金を支払うよう是正勧告を受けた。

労使の一体感を生み出してきた“カイゼン”活動

 これらの動きは時代の流れと言ってしまえばそれまでだが,「カイゼン」の時間外手当は果たして支払われるべきなのだろうか。

 「カイゼン」,あるいは「小集団活動」,「グループ活動」など企業によって呼称は異なるが,従業員の自主的な業務改善活動は製造部門から端を発して,間接部門にまで及んでいる。情報システム部門も例外ではない。事務室内の整理整頓,間接経費の節減から,企画・プログラミング・運用・保守に至るまで,品質や効率の向上策,ミスやデバッグの防止策が,従業員の自主的活動から提案実施されているケースがある。

 これらの活動は,「自主的」であるところに意味がある。自主活動集団の構成員は,「業務」の域を超えた,職制の手の及ばない(と思われている)ところで,「趣味的」「生きがい的」に活動して効果を上げることに達成感や充実感を持っていた。そこでは労使の一体感が生まれ,企業への忠誠心が醸成された。そして,日本企業の競争力を高めてきた。

 その活動に対価が支払われるとなると,不思議なもので「自主的活動」が「業務」というドライなものに変質することになる。そうなると,自主的な活動による「達成感」「充実感」というモラールを失うことになりかねず,日本的経営の良さを全面否定することになる。

 しかし,一方で実態に目を向ける必要はある。以下は筆者の知る,“時間外勤務”についての実例である。

 10年ほど前,某中堅企業のA取締役総務部長は,社内の広範囲において残業代未払いのサービス残業が横行していることに気づいた。従業員や労働組合から苦情が出たわけでもないのに,A氏は大いに問題視し,1億円に迫る未払い残業代を支払うための伺いを書いた。社長は,伺いを提出したことそのものに対しては一切何も言わず,それを認可した。社長の立場があったからだろう。しかし,全役員は「寝た子を起こす必要がないのに」と,陰でA氏を猛烈に批判した。

 さらに,某大企業での話である。情報システム部門や設計部門など頭脳労働を中心とする間接部門では,改善活動は「サービス残業だ」とする批判がかねてからくすぶり,表面化は時間の問題となっている。そして最近では,「カイゼン」意識の最も強固な製造現場にも,新しい感覚が入りつつある。「就社」の意識を持たない従業員は,仕事と私生活を混同せずにハッキリ分ける。請負や派遣制度の活用で“正社員”の比率が下がり,自主的改善活動が発生しにくいなど,明らかな変化も見られている。

 その一方で,次のような実態も見落とすことはできない。

 某大企業でのことだ。将来を嘱望されている情報システム部のB係長(非管理職)は,休日に2時間ほど出勤して,机上の書類整理をするのを習慣にしていた。B係長は毎回の休日出勤で,時間外勤務を申請していた。B係長は管理者たちから陰で批判された。「将来の幹部候補生が,残業をいちいち申請するなんて」と。そして,B係長の上司も,B係長の意のままになっていることを同じように批判された。

 改善活動に時間外手当を支払うにしても,業務範囲の線引きが難しい面はある。自宅に持ち帰って議事録を書き,アイディアを練ることもある。業務範囲の線引きが難しいのは,「カイゼン」に限らない。ほかにも,勤務時間外の活動で,業務と疑わしき活動は沢山ある。それに,そもそも今回改めて残業代を支払うという企業も,そのまますんなりとトータルの人件費支出を増やすはずがない。

従業員は自らの価値向上に動機付けを求めよう

 以上のように現場の実態は,サービス残業に対する疑問,会社への忠誠心を期待できない環境,割り切った新しい考え方の台頭など,複雑な状況にある。滅私奉公を期待する一部の経営層の執拗な古い意識,従業員のモラールの問題,業務範囲規定の難しさの存在といった問題もある。しかし,各地裁の判決に見られるような動き,従業員の意識の変化,あるいは就業環境の変化など,流れは確実に変わっている。それは止めようがない。

 経営陣は,いつまでも旧弊に捉われず,新しい視点で経営のパラダイムを変えなければならない時である。さもなくば,結果的に負の負担を強いられ,前に進むこともできない。

 従業員も,業務の「時間」でなく「質」で勝負しなければならない。一方で,自分の価値(あるいは,将来の自分の売価)を高めるために,業務範囲か否かという曖昧な部分の対価を求めるような些事に対する関心は捨て,自己研鑽(けんさん)の機会を獲得することに関心を持つべきである。多くのチャンスが,自己価値を高めてくれる。

 問題は,そういう状況下で従業員のモラール,労使の一体感などをどう高めるかである。従業員は自らの価値向上に動機付けと意識の高揚を求める。経営陣はいたずらに過去の労使一体感を求めず,従業員個人の価値向上への取り組みをうまく利用すべきである。

 経営環境は,新しい局面を迎えている。